やぼてん(谷保天神)の由来


 延喜元年(901)右大臣菅原道真は、醍醐天皇の怒りに触れ、太宰府に追放になりました。

道真の三男、三郎道武は谷保に流されてきました。

道武は父をしのび、父の面影を木像にしました。(これが谷保天神の御神体といわれています)


 時は過ぎ、江戸゛時代のことです。

谷保の天神様は、飢饉などがあって寄進・お賽銭も少なく修理もままならなくなりました。

そこで宮司と神社の氏子たちは相談をして、目白で御神体の公開をすることにしました。

 秋の10月(神無月)、御神体は目白で公開され、たくさんのお賽銭が集まりました。

そこに狂歌師として有名な蜀山人こと大田南畝が通りかかりました。

「神ならば 出雲の国に行くべきに

        目白で開帳 やぼのてんじん」

(10月(神無月)に、神様なら出雲大社に行くべきなのに、目白なんかでご開帳(公開)しているなんて、やぼな天神様だこと)

と狂歌を作りました。谷保の地名を野暮にかけたのです。

この狂歌がもとになって、「やぼてん」という言葉が生まれたそうです。 


次のページへ民話・伝説の目次に戻る