しかしそれは、このバクにとっては迷惑なことだった。新しい名前は、とても気に入った。だけど、毎晩彼の背中が光るのを見学に来客が殺到したことは、彼にとっては悲劇だった。次第に落ち着きが無くなり、眠る時間が日ごとに少なくなっていった。楽しい夢の分かち合いも、全く出来なくなってしまったのだ。

 そこで彼は、与えられた食べ物を食べ始めた。カオル達とのコミュニケーションがとだえ、空腹に耐える日々に疲れ果てた彼の背中の縞模様は、当然のことだが、その輝きを失なってしまった。

 こうなると、ただでさえ秋に入ってから客は観光地にとられ、大事な収入源だったバクすら頼りにならない――動物園の経営は大変な状況に落ち入ってしまった。

 一方、私達八人は、不安でたまらない日々を過ごしていた。あのバク、"プレシャス"との交流が全く無くなってしまったからだ。一体どうしたというのだろう――

 新聞で『夜の動物園体験コース』というのを始めたことは知っていた。もしかしたら、その事と関係があるのではないだろうか?  一生懸命、彼の身になって考えてみたら、当たり前のことが分かってきた。プレシャスにとって、どれほど辛い毎日だったことか――

「これは大変なことよ! あの子もう、あの頃の能力を使えなくなった、っていうことだもの!」

 私は真剣な顔で、部員達に向かって言った。

「ね、本気で調べてみようよ! バクに関する事。私達とあの子の友情が、ここで終わるなんていやだもの」

 みんながうなずいた。想いは同じだった。

 私達は図書館に通って、本やインターネットで、ありとあらゆる種類のバクの生態や歴史などを調べ始めた。とにかく時間がないのだ。早くしないと、あの子がどうなってしまうのか……カオルと部員達の親は、毎日図書館通いをしている子供達に満足だった。この頃よく勉強をする様になった――などと勝手に思い込んでいた。

『思わせておけばいい。今、私達はもっと"大きな問題"に直面してるんだから!』

 カオル達の頭の中は、プレシャスの事でいっぱいだった。

 調べが進むにつれ、バクと人間の関わりが少しずつ解かってきた。昔、バクは人々の悪い夢を食べ、幸福な気分にさせていた。生き延びるため、つまり人間に殺されない様にするための能力を、自然と身につけていったのだ。

 その頃の地球の国々は、戦争ばかりしていたという。そのため、人々は『いつ自分が殺されるかわからない』という恐怖にさらされていた。その心の苦しみから人々を救っていたバク達は、大切にされていた。

 やがて戦争が終わり、荒れ果てた地には、田畑が広がり木々が生い茂った。人々の生活は、次第に豊かになっていった。そして、王家や貴族達が遊びに興じていた時代、バクはそれに順応して段々、楽しい夢を食べるようになっていったという。そんな事を繰り返してゆくうち現代は…… そこで調査は途切れた。

 今や、誰もがそういう能力を持ったバクは『創造上の生き物である』と決め付けてしまっている。おとぎ話の中にだけ出てくる『龍や人魚達と同じである』と……

 私達は困り果てた。どうしたら、もう一度プレシャスと交流を持てるようになるのだろうか? 彼の能力を甦らせるにはどうしたらいいのだろうか?

「あのさ、プレシャスに会いに行って話をしてみればいいんじゃないの?」

 ケンイチが突然大声で叫んで、図書室に響き渡った。

「静かにして下さい!」

 まわりの人達の視線が、いっせいに私達に向けられた。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。

 ケンイチの言ったことは正しい。なぜもっと早く会いに行こうとしなかったのだろう。初めてプレシャスに会いに行ったのが夏、そして今は秋も終わろうとしている。冬が来て動物園が休園になってしまう前に、早く行かなければ……

 八人のプレシャスの友人達は不安な気持ちを振り切る様に、歌をうたったり、もうすぐ来る冬休みの予定に話をそらしたりしながら動物園へと向かっていた。結構寒い。やはり都会とは気温が違うようだ。

「いるかな?」

「うん、いるとは思うけど」

「元気でいるかな?」

「……だといいけど」

「口きいてくれるといいね」

「ああ」

 園舎までの距離が、いやに遠く感じられた。足どりは重く、プレシャスに会うのが正直なところ少し怖かった。

「ねぇ、悪い夢食べてたりして……」

 ミユキがとんでもない事を言い出したので、私達の不安は一層募っていった。

 気が付いたら目の前に"バクの園舎"――三頭のバクが、あまり元気なさそうにすわっていた。

『おかしい! 一体どれがプレシャスなのかわからない! 何も伝わってこない……』

 恐る恐る私は声をかけてみた。

「プレシャス! お願い、返事して! 私達のこと覚えてるでしょ?」

 すると、"ムクッ"と一頭のバクが体を起こして、こちらの方へ少しよろけながら歩いて来た。

「プレシャス?」

 そのバクは消え入りそうな、か細い声で

「ボクだよ。会えてうれしい」

 そう答えた。みんなの顔がほころんだ。

「どうしてたの? 私達の夢、つまんなくなっちゃったの?」

「ちがう。毎晩たくさんの人間達が来て、ボクとても疲れた。
 夜起きて、朝眠るようになった。
 君達の夢食べられなくなった。
 お腹すいて死にそうになったけど、この頃園長さん、飼育係のおじさん、良い夢見ない。
 仕方ないから"エサ"食べてみた。
 あまり美味しくないけどがまんした。
 また、助けに来てくれたの?」

 私達を見上げる、その不安そうな眼差し――

 それと、すっかり痩せて弱々しい姿を見て、女子達はかわいそうで涙が溢れてきた。

「泣くの良くない。ボク笑うの大好き」

 今度は、男子達まで泣けてきた。

 プレシャスは悲しそうな目をして、一緒にいる二頭のバク達の近況を話始めた。とても言いにくそうに、とても辛そうに……

 それによると、普通のバクだとばかり思っていた二頭が、最近になって"悪い夢"を食べ始めた――というのだ。プレシャスは「誰の夢を食べているの?」と聞いてみた。

 驚いたことに、私が読んだあの新聞記事を書いた「記者の夢だ」と言った。

 その新聞記者は、あまりに暗い事件の取材が続いたため、取材に行くたびに、心が不安定になるようになっていったという。それと同時に、恐ろしい夢を見てうなされる日々が続いた。

 そこで彼は、気晴らしに以前取材で訪れた、この動物園に足を運んでみた。するとなぜかその時、彼は幼い頃母親から聞いた話を想い出した。

「バクはねぇ、夢を食べるんですって……」

 そして彼は、ほんのいたずら心でバクに向かって悩みを語りかけてみた。二頭のバクは、彼に同情し、恐ろしい夢を食べてあげることにした。そのおかげで彼は楽しい気分でいられるようになったという――

 一体これはどういうことなのだろうか? そのバク達に何が起きたというのだろう。バクの"忘れていた能力"が呼び覚まされた――というのだろうか。

 私達はもう訳が分からなくなってしまった。世の中が、いや地球全体の歴史が図書館で調べた、あの恐ろしい戦いの時代と同じ状態になっているとでも……

 プレシャスはきっと『自分がいた環境と同じになってしまうのではないか』という不安で怯えているに違いない。

 私はやっとの思いでプレシャスに声をかけた。

「辛いことだけど、確かに今地球は人間にとっても動物にとっても、いい時代とは言えないだろうね。だけど、私達はずっと楽しい夢を見続けたいよ! バクも人間も、良い夢で生きられるといいね」

 プレシャスは

「ボクもう人間がわからない」

 そうつぶやくと、初めての涙をポロンと流した。涙はとめどなく流れ続けた。

 私達は口々に、彼に向かって叫んだ。

「ボク達のことまで信じられないのかい?  友達だろ!」

「そうよ。大切な友達だと思ってるんだからね」

「君のこと、ちゃんと守るから」

 心の底から湧きあがる思いを、精いっぱいの気持ちを――ぶつけるように!

 プレシャスは嬉しそうに目を輝かせて

「ありがと! ひどいこと言ってごめん。君達だけは信じるよ。ト・モ・ダ・チだからね」

 こうして、またプレシャスと八人の交流は始まった。ところが、次の年の三月に不況のため動物園が閉じられることになってしまった。八人は考えた。『大切な友達が誰か知らない人に飼われることになるか、いいえ、それよりもっとひどいことを想像すれば、殺されるかも……』

 みんな不安でいっぱいだった。そしてその不安はどんどん大きく膨らんでいくばかりだった。

 それでもただじっとしているわけにはいかないと気付いた私達は、一生懸命考えたあげく、動物園の園長に

『ぜひプレシャスを譲ってほしい』と心を込めて手紙を書いた。返事はすぐに届いた。

『いくらでお買い上げ下さるのでしょうか』

 と聞いてきた。私達は、びっくりして、あきれて、呆然としてしまった。

「いくらでってどういうこと? 『こちらとしては、三万円でお願い出来ればと思っております』だってさ! せこいよね。こっちが小学生だって分かってて、そんな大金出させようっていうんだから…… いやな感じ!」

「この人本当に動物が好きで園長やってたとは思えない!」

「いくらお金に困っているっていってもひどいよね。絶対無理、三万なんて!」

「でもさ、そんなこと言ってたら、本当にあの子ひどい目に会うことになるよ! なんとかして、お金つくらなければ」

「その通り! あのさ、かわいそうなバクの子を助けるための"募金活動"をするってのはどうかな?」

「ああ、それいいかもね」

「うん。いい、いい。みんなでやろうよ」

「だけど学校の生徒だけに頼んだって、そんなに集まりゃしないよ」

「じゃあ、街に出ればいいじゃない」

「そうだけど……かなり度胸いるよな」

「何言ってんの! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

 そうは言っても、実際には想像していた以上に街行く人々の反応は冷たかった。クリスマスやお正月のことで頭の中がいっぱいらしい。当たり前のことに腹が立つ――

 だけど自分達もついこの間まで、他人の事などあまり真剣に考えない人間だったということに気付いた。

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