・第4話「迷い」 作者 小美野
あれから半年が過ぎた。悪夢の正月から...。
季節は夏を迎えようとしていた。
サーファー専用の海は終わろうとしている。
これからは学生や、家族連れ、海はみんなのものになる。
大森はここの生活に溶け込んでいた。
都会の喧騒を忘れ、太陽と魚と共に暮らす毎日。
ここに来てすぐに大森のわずかな持金は底をついた。
しかたがない。ユニフォームのまま走ってきてしまったのだから。
それからは干物造りによって生計をたててきた。
素潜り漁でわずかな魚を捕り、民家の屋根に無断で干して...
予想に反し味が良く、軌道に乗り始めてきたところである。
霞ケ浦でザリガニ釣りを生業としている男がいると聞いたことがある。
「そんな生活も悪くない」
大森はそう感じ始めていた。
「モリ〜、ご飯よ〜!!」
美由紀の声だ。
当時女子高3年のサーファーだった彼女は、
卒業を待って大森のもとに身を寄せた。
ここに来た当初から、彼女は異邦人の大森に対し何の偏見も持たず、
何かにつけて世話をしてくれた。
今や大森にとって彼女はかけがえの無い存在になっていた。
彼女がいれば他には何も要らないとさえ思い始めていた。
ちょっとダイアナ・キングに似ていることなど全く気にならなかった。
ここでの暮らしに不満は無かった。
素晴らしい自然と、自分を必要としてくれる人。
他に何を望もうと言うのか。
最近、考える。
あの頃の生活はなんだったのかと...
毎日満員電車に身を揺られ、僅かな休日はサッカーに縛られる。
今の暮らしと比較などできるわけがない。
「馬鹿らしい...」
いつもそう結論が出る。
「もうサッカーに未練はない」
いつも同じ言葉を繰り返す。
しかし、そう言い聞かせるほどにあの頃のことが頭に浮かんでくる。
ゴールネットを揺らした時の興奮が甦ってくる。
試合中の光景が次々と頭に浮かんでくる。
護のスルーパス。後藤のドリブル。
小美野のミスキック。杉本のフェイント。
出村のレグナム。堀内の干し椎茸。町田のケツ...
「戻るものか!!」
無理矢理、頭の中の情景を振り払おうとした。
「もうサッカーのことは忘れたんだ!」
しかし、全ての悪夢振り払ったはずの頭の中にも
満美をホテルに誘って振られたときのショックは残った。
やるのかどうかもわからない「ビーチボーイズ2」のことも。
さらに、まず有り得ない主役の一般公募のことも...
「モリ〜、何してんの!!」
はっと我に返った。慌てて美由紀を見る。
美由紀はほっぺたをいっぱいに膨らませて、怒った仕草をしてみせた。
「かわいい奴...」
大森は微笑みながら美由紀の方へと歩を進めた。
「俺はここで暮らしていくんだ。何も不満はないじゃないか」
そう自分に言い聞かせて家路につく。
しかし、彼の胸にこびり付いた小さな蟠りは消えそうにはなかった。