戦争日記


昭和11年3歳の時2・26事件鉄砲の音で2階の窓から 外を眺める。チラチラ雪の降る朝だった。遠くで黒い煙がたったように記憶している。

「金鵄輝く日本の……」

旗行列。紀元は2600年(今年は266?年)

「年寄りと女子供だけ残った日本」

年上の人はみんな戦争に行った。100人針に武運長久を祈って。

「近所のおばさんの家に爆弾」

何日か前におばさんからどらやき?(砂糖と卵のはいった温かい御菓子) をご馳走になった。家のあった所には大きな穴があいていて家もおばさんも こっぱ微塵に飛んでしまい跡形もなかった。

「中島飛行場」

B29襲来。照明弾が落下、防空壕の中に入る。もちろん電気はつかない。 兄(中学2年生、後学徒動員で日立の工場に行った)は2階の屋根で新聞を読む。

「明日生きているなんて思わなかった」

学校に行く時は身の安全のため救急袋を下げ(かばんはない)空襲のあったとき 塀の下に隠れる練習をした。なんのための学校かわからなかった。 イモ(大根のようなごりごりのサツマイモ)の券の為に学校へいっていたのかもしれない。

「従姉のご主人」

戦争がはじまって早々に結婚して半年もたたない内に招集され第1番に戦死。 結婚式の時わたしは(       )をして とてもよい人達だったのに。従姉も戦後若くして逝ってしまった。着物の形見は 何も言わないがいろいろの事を思い出す。

「やきいも」

一袋50銭、朝6時にたばこ屋で並んで買う。(配給子供だけ学校で券をくれる) 300円で300坪もある立派な家が買えた。

「東京大空襲」

2回目(3月)ものすごく怖かった。焦げ臭かった。それから山形に疎開した。 3月18日、雪が1メートルぐらい積もっていた。疎開した山形にも神町の飛行場 があり畑のところに機銃繰射。荻窪と同じ物がたくさん畑の中に落ちた。 その年の8月15日、天皇陛下がしゃべった。何のことだかさっぱり解らなかった。

「千鳥が淵の花見」

今はさくらの名所で有名な千鳥が淵に戦没者のお墓がある。友達と花を 捧げて冥福を祈っている。友達は外国に行くならバリ島でなくてサイパン島に 行ってから死にたいと言っている。

もう死んでいる人のほうが多い。                             2001年1月

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