とんでもなく個人的なキーワード語録。毒にはなっても薬にはならないぞ!

海を渡る食欲の話
 もう4年も前の話になるんだけど、私は1年間海外留学していたことがある。
一度も日本を出たことのなかった私が、最初にパスポートを取って向かったその留学先が美味し国おフランスであった。
 私はもともと海外のことなんかに全然興味がなかったし、世界情勢はもちろん世界地理なんかも
徹底的に無視して生きてきたんだけど、どういうわけか留学なんかするはめになってしまった。
自慢じゃないけど中学時代の私の世界地理の成績は本当に、笑っちゃうくらいひどいもんだった
(高校の時は世界地理の授業自体がなかった)。
だって世界のどこでボーキサイトがどんくらい採れるか、なんて知ったこっちゃないですよ。
 だから、とも言い切れないものはあるんだけど、今も私には世界地図の配置がよくわかってない。
アフリカ大陸の内訳とか、ロシアの分布とかになるともう完全にお手上げです。全然自慢じゃないけど。

 とにかくフランスの話。
フランスは遠い。
飛行機で13時間。もちろんもっとかかる国もあるだろうけど、国際線初体験での長時間フライトはすんごく辛かった。
もうそろそろ着いてもいいかな、と思ってから到着までたっぷり5時間。パリ・シャルルドゴール空港に到着する頃には
「翼よ、あれがパリの灯だ」なんていう冗談(冗談か?)すら出ない程くったりしていた。
おまけにすぐ1時間後に出るリヨン・サトラス空港行きに乗り換えないといけなかったりして、
もー、いいから、ほっといてくれっ。って感じだった。
例えれば、死ぬ程つまんない映画を頭やら目やら固定されてえんえんと見せられているような感じの疲労。
だいたい私は乗り物にもんのすごく弱いのだ。タクシーなんか乗って10秒で酔える。これまた全然自慢じゃないけど。

 とにかく、フランスの食べ物の話。
そもそも私がなんでフランスくんだりまで留学したかっていうと、別に語学留学とか芸術探訪系ではなくて、
ひたすら食文化の追究をしていました。<というと聞こえはいいが、要するに食って食って、食いまくりに行ったわけです。
目をむくような話だけど、某栄養系専門学校にそういう課程が本当にあるんですね。
 すごいのよ。
朝から晩まで、ほとんど運動なんかせずに作るか食べるかの日々。
少し語学とサービスを勉強する以外はずっと厨房と食堂の往復。
フォアグラを採られるガチョウの気持ちがよくわかった。

 まあしかし食べ物の話。
とは言え毎日エスカルゴだのオマールだのアニョーだの
Filet de boeuf a la moelle et a l'echalote,sauce marchand de vinだのばかり食ってるわけにもいかないから、
自由に食事していい時にはだいたいパンとチーズを食べてました。
これが困ったことに、また異様においしいんですよ。
鶏舎のごとき学校を出るとそこはまるっきり普通の山村で、生徒達は休日には村の中心部までえっちらおっちらと
ハイキング風買い出しに行かねばなりませんでした。
10分位歩くと村の教会があって、その周辺の小さな敷地に床屋やタバコ屋、
パン屋や肉屋がちまちまと軒を列ねておりました。
だいたいパン屋でクロワッサンとバゲットを仕入れて、時には 肉屋で惣菜を買ってみる、というのが定番だったです。

 パンがね。
全然違うんです。讃岐人が他県でうどんを食って、「コノヤロー!」つって
どんぶりひっくり返して帰ってくるようなレベルでなく、激しく違う。
40センチくらいのバゲットをひとくち食べて、「えっ?」て思って、いやいやそんなはずは、ってもうひとくち食べて、
おいおい嘘だろと思いながらさらに食べて、「えっ?」「はっ?」とかやりながら食べてるうちに
あっという間に1本なくなるくらい違うんです。
この感じをどう人に伝えたらいいか、うーむ、カリカリ?バリバリ?
しっとり?ねっとり?もっちり?そよ〜?さわ〜?ぽわ〜ん?
なんて延々考えてるうちに2本目いっちゃうくらいなんですね。もうおいしいというかそれは魔法のようなもので、
ひとくちで抗い難い夢の世界へ強制連行…ヤバい?ああ、でもどうなってもいいや…。みたいな。

 でもね。
やっぱり落とし穴があるのだ。
パンは太るんですよ!!チーズだって脳みそ裏返るくらいおいしいけど、これも太るの!!
このことを私はトリップの日々から数カ月後に、それは恐ろしい形で実感することになるんだけど、
長くなるので一旦ここで休憩をはさむことにします。以下次号。

2001年01月31日 11時34分43秒

生きてれば友達かというとそうでもない話
 私のものすごく嫌いなものの話。
多分これを嫌いな人は世の中にたくさんいるはずで、中には「話を聞くだけでもぞくぞくする」 というような
ナイーブな方もいらっしゃるだろうから、そういう人はこれを読まない方が いいんじゃないかと思います。

 私の嫌いなもの、それは「虫」です。
 基本的に虫全般が苦手なんですが、特にダメなのがあの、うにょうにょもぞもぞ系の「毛虫」とか 「青虫」です。
ぞわぞわ。眉毛下がっちゃいます。
 もちろん理由もなく虫達を憎んでいる訳ではありません。みんなみんな生きているんだ、の観点で
みれば確かに一寸の虫にも五分の魂、まぶしいばかりの命です。
でもだからといって友達になれるか と言うと、それはまた別の話じゃないですか?
 幼児体験は人間の性向を大きく左右すると言いますが、私の虫嫌いも多分そこから来ています。

 あれは遠い春の日の出来事。
私が現在のように屈折していなくて、無邪気で人見知りをしなかった幼児の頃の話。
 近所の満開の桜があんまりにも綺麗で、もっと近くで見たくて、私はするすると桜の木に登ってしまったのです。
当時私はたいへん身軽な体育会系児童で、木登りがとても得意でした。表面のぼこぼこした桜の木は
また登りやすくて、あっと言う間にてっぺん付近まで登り切りました。
そこがうにょうにょもぞもぞの一大巣窟だとも知らずに。
 気がつけば私は、野生の王国の侵入者でした。
あたり一面はもう、んもう、なーるほど・ザ・毛虫ワールド(古いな)な感じで。
ぼこぼこの表面だと思ったのはなんと全部毛虫でした(ぞわぞわ)。
木の幹にそれはもうびっしりと、毛虫が張りついていたのです(ぞわぞわぞわ)。
 私はしかし当時から、ものごとにそれほど動じないタイプでした。
動じないって言うか、あまりにも驚いたので声も出なかったんですけど。
「えーと、どうしよう。」と私は心の中でつぶやきました。
右に行っても左に行っても上に行っても下に行っても、
「コンニチハ!コンニチハ!コンニチハ!」
ってな感じで毛虫どもが待ち受けています。
地上では突然無口になった私を近所の子供達が口を開けて見守っています。
フリーズした私を動かしたのは、体を支えた右手のひらに迫ってくる毛虫団体でした。
とりゃ。
と私は桜の木から飛び降りました。
 いくら帰りはショートカットしたって、行きの行程で相当量の毛虫を踏みつぶしているはず だったけど、
そんな怖いことは極力考えないようにして。
「ふきちゃあん、かたあー。」
近所の子の声に自分の肩を見てみると、・・・しっかり這っているではないですか。
極彩色のうにょうにょもぞもぞが一匹。
えりゃ。
と私は無言でやつをはじき飛ばしました。
哀れ、肩のり毛虫は力無くぽとりと地上に落ち、背中がかゆいとでも言いたげにもぞもぞしていました(藻掻いていたのか)。
そして、虫嫌いの私は誕生したわけです。

 何が嫌いって、あの力無い命のありようが許せないんです。
踏めばつぶれ、握ればつぶれ、はじかれればぽとりと落ちる。
ゴキ◯リならばまだしもバイタリティーに溢れているものを(溢れすぎと言う話も)。
おまえは命を他者にゆだねすぎ!!!とか思ってしまうのです。
 だから私は虫よりも雑草を好みます。
踏んでも蹴られてもひっくり返されても、根っこは実は生きているしぶといやつだからです。
しかし踏んでも蹴られても実はまだ生きている虫なんていたら、私はまず間違いなく逃げるね。
 ちなみに嫌いな虫の次点は「蛾・蝶類」、その次は「糸トンボ」です。
どっちにもかなりブラックな思い出があります。しかしそれはまた別の機会に。

2001年01月26日 12時20分44秒

田村家の謎の小部屋
 私は昔から「鬼ごっこ」よりも「かくれんぼ」の方が好きな子供だったんだけれど、
「秘密基地」とか「隠れ家」とか聞くと今でも鮮明に思い出す不思議な体験があります。
それはものすごく不思議なことで、あれからもう20年が経とうとしているのに未だに
その謎が解けない。思い出す度に私は首をひねっている。あれはなんだったんだろう?

 私が現在のように屈折していなくて、無邪気で人見知りをしなかった幼児の頃の話。
 木造建築で古いタイプの、わりに大きな家が近所にあった。
そこに住んでいるのは田村さんというご一家で、私の祖母が田村さんちのおばあちゃんと
友達同士だったりして、いわゆる家族ぐるみのおつきあいをしていた。
 その不思議なことが起こった日、私と兄はおばあちゃんに招かれて田村家に遊びに行っていた。
 田村家には1匹の猫がいた。たしか銀灰色の雑種猫だったと思う。
当時うちにはペットというものがいなくて、猫でさえ珍しく(まあ子供なのでなんでも珍しいんだけど)、
私と兄は猫の行く手をひたすら追いかけていくという遊びに興じていた。
田村のおばあちゃんは雑用があったのかちょっと近所まで出てくると言い残して出かけたし、
その広いおうちにはそのとき私と兄と猫しかいなかった。・・・はずだった。
私は田村家の間取りにはそう詳しくはなかったけど(よそんちだから当たり前ですけど)、
とことこと歩いていく猫を追いかけて居間から離れに続く長い廊下を渡りながら、
「あれ、田村さんちにこんな長い廊下あったっけ?」と考えていた。
確かに離れへの廊下はあったけど、もう少し短かったような気がしたのだ。
次の瞬間、猫がするりと廊下の左手にある扉に潜り込んだ。
私は「こんな部屋あったっけ?」と思いながらも、猫を見失うまいとその扉をがばっ、と開いた。
そこで私は一瞬言葉を失ってしまった。
それは本当に小さな部屋だった。半間四方くらいの空間に椅子がひとつ据えてあり、
そこに 見たことのないおばあさんが座っていた。
私はとっさに、トイレをあけちゃったんだ!と思い おばあさんに「すみません。」と謝った。
知らないおばあさんはちょこっ、と会釈した。
でも、そこは別にトイレではなかった。おばあさんの足元にさっきまで追いかけていた猫がすり寄り、
頭をなでてもらっている。落ち着いて見てみると、その小さな空間の壁はすべて棚のような作りに
なっていて、そこにはびっしりと木のお椀が収納されていた。その数は100や200じゃなかったと思う。
子供心に、「この部屋はなんなんだろう?」とものすごく不思議に思った。
しかしおばあさんはなにも喋らず、猫も彼女から離れようとしなかったので、私と兄は追跡を諦め、
その場を後にした。その日は戻ってきた田村のおばあちゃんにさよならを言って、家に帰った。
しかし後になって、考えれば考えるほどあの部屋がなんだったのか気になって仕方なくなった。
田村さんちは忍者屋敷で、あれは隠し部屋だったんだろうか?

数週間後、私は諦めきれずにひとりで田村さんちに遊びに行った。
そして何も知らないふりをして、「おばあちゃんちの部屋を全部みせて。」と頼んでみた。
田村のおばあちゃんは快く承諾してくれ、家中を案内してくれた。
台所に始まって、自分の部屋、離れの娘さん夫婦の部屋、裏庭、2階、風呂場からトイレまで。
もうおわかりですね?

そんな部屋はどこにもなかった。
あのとき確かに長く感じた廊下はすぐに離れの部屋に突き当たっており、廊下の左手はずっと壁で、
部屋どころかトイレすらなかった。
「おばあちゃん、おばあちゃんちの部屋は他にないん?」
「うーん、おばあちゃんちはそんなに広ないなあ。」
それは確かに言葉通りで、私は突き当たりの部屋の壁まで密かに探ってみたが(困った子供だ)
やはり長い廊下も、お椀の小部屋もなかったし、知らないおばあさんもどこにもいなかった。

「それ、夢じゃないの?」とあなたは言うかもしれない。
だけどあの日、首を傾げながら家に帰り、ごはんを食べて、布団に入っても疑問の消えなかった私には確信がある。
あれは絶対に夢なんかじゃなかった。
「いつか、このことを夢だったんだと思うかもしれないけど、絶対にほんとのことだった。 ちゃんと覚えておこう。」
と、幼い心で決意したことも覚えている。

それが私の人生における七不思議(ななつもない)体験のうちのひとつです。
「おばあちゃんちはこれだけや」と笑った田村さんに秘密があったとは思えないけど、
強いて言えばあの銀灰色の猫が何かの鍵を握っていたんじゃないかと思う。
しかし彼(彼女?)もとっくの昔にこの世から去っており、真実を知る手がかりはもはや何一つなく、
謎ばかりが落とし物のように私の記憶に残されているわけである。

2001年01月23日 22時47分43秒

極東アンダーグラウンド・ミタニ語録について。
ひみつ基地増設しました。
要するにここは、掲示板とも製作日記とも違う形でミタニがぶつぶつ言うための場所です。
日記ではないので毎日更新があるわけではないですが、
ある日突然どっかんと記事が増えているということはあるかもしれません。
どちらにしろ、「『表』極東ソウルミュージック」同様、
そんなにたいしたことが書かれているわけではないんですが。
ミタニの思考回路に詳しくなる以外には特に効用もありませんので、
すげーひまで藁をもつかむ思いの時くらいに「そうだ、そうだ」と見に来ていただければ幸いです。
2001年01月22日 15時09分28秒

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