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2001/5/5 朝日新聞 より(私の視点・ウィークエンド)*全文転記します* バリアフリー「酸欠の心」に風送ろう 福島 智(東京大学助教授・障害児教育学) 日本の社会には今なお障害者や高齢者にとって様様な「バリア」が存在する。 エレベーターのない建物は「物理的バリア」であり、利用困難なITは「情報のバリア」を生む。また、障害者との結婚やアパートの入居に反対するのは「心のバリア」の表れだと言えるし、障害を理由に資格や免許の取得を制限する「欠格条項」などの「法制度のバリア」もまだまだ深刻だ。 「心のバリア」とは、まさしく差別意識であり、そして、この差別意識を実体化させるものが「法制度のバリア」だろう。したがって、たとえば「障害者差別禁止法」などの制定を通して「法制度のバリア」の撤廃を目指すことが重要だ。 しかし、そもそもなぜこうしたバリアが生じるのかを考えると、やはり「心のバリア」の存在に突き当たる。では、「心のバリア」はどうすれば除去できるのか。コミュニケーションが鍵を握っているように思う。 私はコミュニケーションは「心の酸素」だと思う。つまり、コミュニケーションが不足すれば、心は「窒息する」ということだ。 18歳で視力に続き聴力をも失った私は、他者とのコミュニケーションが断絶される日々を体験する。それは魂の凍るような孤独の日々だった。やがてコミュニケーションを取り戻し、本当につらいのは「見えない聞こえない」ことではなくて、他者との心の交流が消えることだと確信した。 もちろん、コミュニケーションをもったからといって、それで「心のバリア」がすぐに取り除かれるわけではない。しかし、多くの差別は対話の不足から生じる。そして、今の社会は、情報の氾濫とは裏腹に、他者とのコミュニケーションに飢えている人が多いように思う。障害者や高齢者と豊かなコミュニケーションを持つことは、「心のバリアフリー」につながるだけでなく、多くの人が抱えている「酸欠の心」にとって新鮮な風となるだろう。 自然環境に生態系があるように、人間社会にも、人と人が織り成す「共生の生態系」が存在するのではないか。もしそうなら、ある属性にハンディを持つものが社会の中で軽視され、無視されれば、この生態系にゆがみが生じ、ひいては社会の崩壊につながるだろう。バリアフリーの取り組みとは、社会を崩壊から守り、「共生の生態系」を活性化させることなのだと思う。 以上、書き写し 実際のこまごまとしたところの感想は、「欠格条項」などの点は、すべて撤廃は難しいと思った。たとえば、薬剤師の場合、視覚障害を持つものは、安全な役務実際に不可能ではないかと思うので、やむを得ないのでは?しかし、<すでに改正されたのだろうか?>聴覚障害者の場合は役務に支障はないようにも思うが・・・???? また、ITのバリア・・・このページでは、「フレームを使わない」という事だけは実行してみた。しかし、管理者の別ページでは、フレーム乱用のため、たぶん視覚障害の方にとっては大きな障害となっているのだろう。(やはり、フレーム無しの別ページを作っておこうか・・) そんなこと考えながら・・・
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