暮らす街

手話・・・日本語であって世界語

聴覚障害者の方は、ひと目見たところでは、その障害は周りの者にはわからないので、余計にご不自由を感じておられることでしょう。災害などのときには、ご近所のサポートが必要でしょう。もちろん普段の生活でも・・・。

自転車で、出かけている時に、後ろから、車がクラクションをけたたましく鳴らします。それで注意を喚起したと、その横を、たいしてスピード落とさずにすり抜ける車・・・。
クラクションで注意を喚起したら、相手に通じていると思う・・これも、私達の心のバリアです。

手話があります。テレビなどで取り上げられる事もあり、広く知られています。
手話が素晴らしいと思うことは、相手と相対して、まっすぐに相手を見てのコミュニケーションだということです。相手の手話はもちろん、相手の表情、目、口の動きすべてがコミュニケーションで必要で、お互いにしっかり相手を見て話します。
もうひとつ、少しくらい離れていても、会話できる事です。電車のホーム。あっちのホームとこっちのホーム。間に線路があっても、相手を見ることができたら、自由に話を続けられるんですよ。見送る人と見送られる人。電車の窓越しに、発車するまで名残惜しめます。

手話は日本語です。手話通訳者が、その多忙によって腱鞘炎に・・などということを聞いたことがありました。個人的意見ですが、みなが普通に手話を使えるならば、手話通訳者など必要なくなるのに・・・。こんな意見変ですか?手話は日本語なのです。
中学校から、英語が必修科目に加えられていますが、手話を科目に加える事が考えられた事はないのでしょうか?素朴な疑問です。手話は日本語なのです。

などと書く私は、手話を少し教えてもらったことがあるだけです。
その頃覚えていた単語も、だんだん脳の片隅に追いやられて、なかなか思い出せなくなっています。しかし、わからないときは相手の聴覚障害者の方が教えてくれます。大きく口を開けて、話をしているとわかっていただけます。指文字という「あいうえお・・・」50音だけでも何とかややこしい単語を伝える事ができます。相手の手話が読み取れないときは、「え?」と何度も訊きますと、丁寧に説明してくださって、それでもわからないときは筆談を使います。たまにしか使わないと、こんな具合です。でも、これでいいと自分では思っています。この程度でも、何とかなる・・・少し自分に甘いのですが・・。

橿原市では、手話教室が開かれています。年に1度か2度。20年くらい続いているようです。ということは・・・1回10人として、年に1度として200人くらいですか。それくらいは、手話をかじった人が生まれているということですね。それはしかし、人口10万以上にしては少ないように思います。
もっと、手話をかじった事がある人の割合がどんどん増える事を望んでいます。
手話は日本語です。

手話は日本語ですが、さまざまな方言があります。使う方によってさまざまな種類があり癖があります。標準手話がスムーズに伝わるとは限らないし、相手の使う手話がわかりにくいこともあります。手話には方言があります。

しかし、手話は世界でも(言語が、異なる人の間でも)ある程度解り合えることができるようです。これは国外旅行された聴覚障害の方がおっしゃっていました。
手話は世界語でもあるのです。手話ってすごいと思いませんか?

手話教室の告知を見たら、参加を検討してみませんか?

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