暮らす街
心のバリア・・2
最近、新聞で「バリアフリー」という言葉が目に付くようになりました。
これは、読者(私)の目のせい?それとも実際に多く登場している?
かってな心配・・・・・「地球にやさしい」というキャッチフレーズをつければ、なんでもよさそうに思えた、そんな錯覚に「バリアフリー」も陥らないように、ちゃんと使って欲しい。
さて、今回は私自身のことも含めて、心のバリアを再び考えてみたいと思います。ハード面ではなくて、ソフト面のバリアフリーです。
きっと、今後ハード面は法整備が進められて行き、これからはこちらの方(ソフト面でのバリアフリー)が重要なポイントになると思います。
先日、またご近所のお年寄りとお話しました。こけて額に怪我をされたんですって。
「どうしててこけたの?」
「バスに乗ろうとしてね、思い荷物を先にステップに上げようとしたの。左手も荷物を持っていたから、横着して片手でそれをしようとしたんだけど、重くって・・バランス崩して、コンクリートにおでこぶつけてしまった。」
「運転手さんも乗ってた人もビックリして、医者に行こうかって言ってくれたり、ティシューを差し出してくれたりしたんだけど・・」
「行きの軽い時には、バスに乗り込むときに、先に乗ってた人が、ささっと降りてくれて荷物を持ってあげてくれた。でも、そのとき、肝心の荷物が重い時は、誰も手を貸してくれなかった・・。」
「ちょっと持ち上げてくださいって言ったらよかったね」
「でも、周りにお願いするのもねぇ〜なんだかねぇ〜」
一時、老人を体験するという疑似体験が流行った?ことがありました。私自身はその経験は無いのですが、自分がいろいろな事を不自由に感じてはじめて、本当に気づくという、鈍感な生き物のようです、人間って。
過日のお年よりは自分が怪我をして、血を流して、周りのものに教育したということになります。なかなか、ちょっと手を貸してということを申し出にくい雰囲気があるのかもしれませんが、お年よりの方は、自分が楽をするために、そう言ったお手伝いをお願いするんじゃなくて、お年寄りみんなのために、手助けできる若者を教育するために「ちょっと手を貸して!」と声を気軽にかけたらどうかと思います。
そして、その場にいた若者は、教育されるんだと思います。心のバリアを取り除くということを。
軟弱な私達の年代ではなくて、もうちょっと上の方々、今の「お年寄り」は「人に迷惑かけないように」とか「自分でできることは自分でする」とか、そんな立派な精神をもっておられます。
それが、ひょっとしたら、無理して自分でやろうとしてたり、その結果、周りのものはそういう気遣いにうとくなったり、また、無理して怪我をされたり、、、そんなサイクルになっているのではないかしら、とも思いました。
自分がそこに居たら?その方が見知らぬ方で、どういう不自由を感じておられるのか知らなかったら?自分はどうしたろうか?こけて怪我をされるのをみて駆け寄る事しか出来なかったろうか?
と、考えた日でした。
お手伝いさせていただける事はとてもうれしい事です。でも、本当に残念な事に、自分ではそういう気遣いが出来ないことが多い・・。きっとお手伝いさせていただけた日は、1日しあわせなうれしい気分で過ごせる事でしょう。