遺す街
・・・バリアフリーと関係ないようなあるような・・・
大和三山・・・畝傍山・耳成山・香具山
ここ橿原市には、大和三山という山があります。国有林で、昔は「入り合いの山」だったと、地元の方がおっしゃっていました。地元の者が昔からそして今も、守って利用してきた山です。
藤原京から香具山をみる
畝傍山をみる
大極殿跡から耳成山をみる
国有林だという事は、この大和三山は、よっぽどの事がない限り、このまま保存されるのだろうとうれしくなります。
奈良には、こういう、開発が自由に出来ないスポットがたくさんあり、それは財産だと思います。そのせいで、自由に開発できないせいで、遅れた街というイメージがあるかもしれません。しかし、遺す価値があるものだと思います。
財産です。
さて、大和三山で・・・
私自身が、頻繁に訪れるのは耳成山で、標高は137mくらい。小さなかわいいお椀をひっくり返したような山です。三山のなかでは、一番低い山です。
そんな小さな低い山に感心するのは、雨の後です。
数日前に雨が降ったと思うのに、もうここ何日も晴れていたのに、ふもと近くの登り道に、ちょろちょろと水が流れています。
木々がその根元に水をためながら徐々に流しているのです。
洪水や、鉄砲水や、そういう災害を、森林が防いでいるのだという事はよく聞くことです。
低い、かわいい、耳成山はきちんとそういう保水力を示しています。
しかし、考えてみてください。ちょっとおかしいですね。なぜ、登り道に、雨水がちょろちょろ流れているのでしょう?本当は山の地面の下の水は、そんなふうに表面には出てこないのではないでしょうか?
ある日、この水がどこから流れ出ているのかさがしてみました。登り道の山側の削られたところの、木の根っこ付近からちょろちょろ出ていました。あっちこっちから出ていました。
毎日健康のために、この山に登っている方がされたのでしょうか?小さな溝が掘ってあって、登り道を水が横断して、谷へ流れる事ができるようになっています。
しかし、急な登り道では、道そのものが水路のようになっていて、まるで小川のようです。
つまり、人間の登り道を作ったために、水の通り道を分断してしまっているのです。
そして山は本来の能力を発揮できないで、人間の目に水の流れを見せてしまいました。
もともとは、人間が知らないうちに、山は、地面の下に雨水を、ゆっくりゆっくり、通していくはずだったのです。そういう計画?だったはずなのです。
耳成山には、人間が山を削ってつくった登り道ではなくて、自然に踏み広げられた道もあります。たくさん自然の道が出来ています。
そのうちの1つの道は、私のお気に入りです。そこを歩くと、腐葉土の堆積でふわふわして、とても気持ちがいいのです。狭いのですが、お気に入りです。そこが、小川のように水の通り道になっているのは見たことがありません。そこは、きっと、「水の道」が分断されていないのかな?と、勝手に考えています。
人間の行為が山の能力を削っている?
しかし、そうではない方法はあるはずだと思いますが?
私自身は、こういうことを勉強した事もないし、今、これを書いているのも、自分の感覚だけです。情報を集める事もしませんでした。不確実な無責任な書きっぱなしです。ただ、「整備」ということをちょっと考えなおしてみたらどうかとの提言をしてみたいと思います。
山の専門家なら、「水の道」を分断しない方法を知っておられるのでしょうね。
観光のために、市民のために、「遊歩道を整備する」という、計画が出ているような出ていないような?選挙に立候補する候補者の主張に、見た事があるようなないような・・・・・
今後、きっと整備の計画がいつか出てくると思います。
もしも、そういう計画を実施される時には、そういうこと(水の道ということ)を配慮して、工事計画を立てていただきたいものです。安易な実施ではなくて・・。
形は「山」として残っていても、ずたずたに切り裂かれたような悲しい山は、ちょっといやですね。