マ マ の 部 屋![]()
妊 娠 生 活
92年4月に結婚しそのまま会社に勤めていたが、1年半後に「子作り宣言」をして退職した。
毎日ハイヒールをはいて、男性社員のタバコの煙の中で妊娠するのは絶対嫌だった。
妊娠初期がとても大切なので、家でゆっくりとした環境の中、過ごしたかったから。
その半月後、妊娠を確認、パパはもちろん、両親も皆大喜びだった。
出産予定日は94年5月2日。連休前で、ちょうど良い季節。
独身の頃から赤ちゃんに興味があり「Pand」とか出産雑誌をよく買っていたので、予備知識は
あった。パパも子どもは大好きで、甥はもちろん、友達の子どもとよく遊んでいた。
以前から男の子なら「凌」のつく名前にしよう、と決めていて、字画を調べた結果、「凌太」が
一番良かったので、まだ豆粒ほどのお腹の赤ちゃんに向かって「凌くん」と話しかけていた。
「胎児はみんな知っている」とか、「頭の良い子に育てる方法」といった本を読み、
「ほら、きれいなお花。」など言い聞かせたり、胎教音楽を聴いたりしていた。
ラマーズ法のCDで「ヒッヒッフゥー・・」の呼吸法も練習し、優秀な妊婦を目指した。
その頃、前の公園を毎週木曜日に決まって障害者施設の人達が掃除していた。
その中でもある男性と毎回必ず会うようになり、挨拶をしていた。
「おはようございます。」と言っても、彼は軽く頭を下げてくれるだけだったけど、
私のお腹が大きかったのが珍しかったのか、よく見ていた。
今まで障害者と言われる人とあまり接点がなかった私は、
「世の中にはいろんな人がいるんだ・・」と、25歳になってやっと思えるようになった。
その時は分からなかったけど、今思い出すと、彼もダウン症の人だった。
それから、出産本を読む度に「ダウン症」の言葉がやけに目についていた。
「高齢出産に多い。知的障害がある・・」
そんな子を産む人って、やっぱり大変なんだろうなぁ・・。全く他人事・・・。
母親学級に参加したり、着々と「ママへの準備」をしていた頃、頻繁にお腹が張るようになる。
歩いていたりすると、ぴぴっと張って来る。まだ3ヶ月なのに・・?
腹囲も体重も急に増加、母子手帳も今まで「異常なし」だったのに「体重注意」になり悲しい。
食事をセーブしても、体重増加は止まらなく、エコーで見ると羊水が異常に多かった。
そして切迫流産、1週間の入院生活・・。
退院しても重いものを持たない、歩きすぎない等の制限を受けお腹の張り止め(ウテメリン)を
毎日飲んでいた。
妊娠5ヶ月の時、新築した家へ引越しをした。
私の実家から600m、スーパーも銀行も郵便局もちかく、保育園がすぐ目の前にある。
「凌太も大きくなったら、ここの保育園に通うかな?」などと思っていた。
8ヶ月に入る頃になると、じっとしていても頻繁にお腹が張り、切迫早産との診断、入院して
多すぎる羊水を抜く事になった。
なぜ羊水が多いのか聞くと「胎児がよくおしっこをしているか、お腹が閉鎖しているか」と言う。
私は勝手に「凌太がたくさんおしっこしてるんだ・・」と思い込んでいた。
初めての羊水穿刺、大きなお腹に局部麻酔をし針をさして羊水をゆっくりゆっくり抜く。
黄色っぽくて、白いものが浮いていて、「この中に凌太はいて、この水を飲んでいるの?」
ちょっと可哀相な気もするが、きっと皆そうなんだろう。
羊水は「念のために羊水検査しておこうね。」と、検査にまわされた。
2000cc抜いた後、造影剤をお腹に入れられた。
それを凌太が羊水と一緒に飲み、レントゲンで凌太のお腹のつながり具合を見るそうだ。
その後の痛さと言ったら・・・。足元にある布団を引き寄せる事さえ痛くてできない。
寝返りも辛く、息をするにも苦しかった。
次の朝、車イスでレントゲン室へ行くと、外来の患者さんたちから見られている事に気付く。
初めて乗った車イス、こんな風に皆から見られるんだ・・。
結局、凌太のお腹は医師の予想通り、つながっていた。
産まれたらすぐに手術を受けなくてはいけない、と言われた・・・。
羊水を抜いても、1週間後には元通りに増えていたので、結局1ヶ月の入院の間に3回抜き、
お腹の張りは治まらず、張り止めの点滴をずっと受けていた。
凌太の十二指腸閉鎖が分かり、このK病院では手術ができなかったため、市内のS病院へ
転院する事にきまっていたが、ベッドが空いてないらしく、「4月になったら」と言われていた。
「赤ちゃんは産まれてすぐに開腹手術を受けなければいけない」事を、両親に話すと、
「かわいそうに・・」と涙ぐんでいたが、パパは「手術で治るんだから。」と言ってくれた。
検診の度に羊水検査の結果を聞いたけど、1ヶ月はかかる、との事だった。