●中学時代(対人恐怖が始まった)

 私が対人恐怖になったのは中学2年くらいです。まだ、明確に対人恐怖というほど
のものではなかったのですが、それまでの友達と急に話が合わなくなり、クラスで
も友達が作れなくなってしまいました。
 また、クラスメイトによく馬鹿にされるようになりなまじプライドが高いので馬鹿にされまい
と構えるようになり、それにともなって人が段々怖くなっていきました。
高校に入ってからはますます対人恐怖の傾向が強まり、クラスメイトともまったく話を
しなくなってしまいました。

●大学時代とその後

 高校時代の悲惨な状態を抜け出そうと希望に燃えて大学に入学しましたが、1週間も
経たずに不登校になってしまいました。あまりにも同世代の人が怖くてとても学校に行ける
ような状態にはありませんでした。
 その後1年くらい下宿先で半引きこもりのような状態で過ごしました。
2年になって無理に学校に行くようにしました。非常につらかったですがクラスの授業さえ
切り抜ければ、あとは一般教養や専門科目などは知らない人ばかりなので何とか
通えることができ、2年の留年を経た後卒業できました。
 
唯一地元の高校の友達が一人上京していたのでその人と時々会って遊ぶ程度で
、大学の6年間で友達は結局できませんでした。

大学時代、面接があまりにも恐ろしいのと、お金をため留学をしようと思っていたので
就職活動はしませんでした。
そういった理由から卒業後フリーターの生活がはじまりましたが、どのバイトも対人恐怖のためあまり
長続きはしませんでした。
 その後紆余曲折を経て実家を手伝うことになり現在にいたります。






対人恐怖を治すにはこれだ!というような絶対的な方法は提示できません。
克服の過程は人それぞれでしょう。
ただ、基本的には人間関係の問題ですから、人間関係の中で克服していくことだと
いえます。
 一番は友達や仲間を作ることだと自分の経験からは言えることです。






人付き合いが苦手なのを治そうというよりは、「人付き合いが苦手な人なりに
自分に合う人を見つける」と発想の転換をすることをおすすめします。
無理に人付き合いが苦手な自分を治そうとする試みは
自分の経験からいってうまくいきませんでした。
それよりは現在の人付き合いの苦手な自分ということをまず認めて、そういった
自分なりに合う人を見つけていくほうがいい。






友達や仲間を作ると言っても、そのためにがむしゃらに人と会えばいいということでもない。
現在の自分の実力に見合ったシチュエーションや相手を選ぶといったことが必要
です。
 対人恐怖の強い人間がいきなり普通の人達のサークルや飲み会に行くのは
あまりおすすめできません。思い切ってそういったところに行ってもかえって上手くなじめずに自信喪失しがちです。
メンタル系の集まりですら合う合わないはあります。
例えば引きこもりの人が内向的だが社会人だらけのサークルに行くのは
普通抵抗があったりとか、雰囲気が自分には合わないとか。
 まず精神的に入りやすいところから入るのが鉄則です。少しずつ治す、段階を上げていくのが正解で、いきなりハードルの高いところから入らないほうが無難です。






これは引きこもりの研究家の斉藤環さんが言ってた事です。友達が一人だとその人
を特別な人と思ってしまい依存しやすい、友達が2人=合計3人の関係は不安定な
ところがある、だから、3人は欲しい。







メンタル系の集まりといっても、僕は長年対人恐怖に悩んできたわけだから他人に対する恐怖感はかなり
根を張っていて、最初のころはとても怖い。でも場数を踏むことで僕の場合そういった
恐怖感は以前よりは鈍くなりました。急には治らない以上場数を踏むことで、他人に対する
恐怖感や疑心暗鬼を徐々に減らしていけると思います。






 結論から先に言うとやっぱり損です。ただ、損ではあるが劣っているというわけではない、が、損してる分
劣っていると感じがちな性格ではあります。
ただ、この損というのはたいしたことはない。
かんじんな人間の評価というのは、評論家の勢子浩ニさんが言うように人や物事への対応能力で決まることです。
最善を尽くしてひとつの「物」や「人」に対応していく、それで十分なんです。
 この対応していく力が最も肝心なのであって、そこには内向も外向もありません。
こういった発想の転換をすれば内向型だからといって変なコンプレックスを感じる必要もないと思います。






僕は視線恐怖です。街を歩いているとき、向こうから歩いてくる人の視線が気になるし
また、人の目を見て話すことができない。
でも、あまり、僕はこの視線恐怖を現在は気に病んでません。
視線恐怖そのものはあまり治ってませんが、気にしないことによって悩むことは
ほとんどなくなりました。
これは僕なりの視線恐怖の克服法なんですが、シンプルな考えで
「怖いものは見なけりゃいいんです。」(笑)
僕は街を歩くときは人が向こうから来た場合、そっぽを向いて人の視線が入らないように
します。また、人と話すときも人の目をほとんど見ずに話します。
その他、いろんな手を使って人の視線が自分の視界に出来るだけ入らないようにします。
こうすることで、視線恐怖のストレスを軽減できまた悩むことも減らすことができました。

しかしお分かりのように視線恐怖そのものは治ってない、今になって気づいたんですが
視線恐怖による悩みというのは、視線恐怖そのものを失くそうと思うと上手く消せないと思う。
視線恐怖を治して人の目を見れる、または気にしない自分になろうとすると、かえって自分の
視線恐怖が気になり視線恐怖は悪化するような気がする。
それよりは自分は他人の視線がどうしても気になる人だって自覚して、その怖いという感覚に
自然に従いそのとおりに振舞ったほうが、視線恐怖そのものは治らないけど
悩むことは減る。そして悩みが減ることによって視線恐怖そのものも徐々によくなるって考えた
ほうがいい。



 



沈黙恐怖の克服法を一言で言えば「必要のないことは話すことはない」ってことです。
必要もないのに話そうとするから、かえって話せなくなるみたいな悪循環が沈黙恐怖の原因だと
思います。

だから沈黙恐怖というのは話が続かないということに問題があるわけではなく
沈黙に慣れていないということに問題があると僕は思ってます。
だから、沈黙恐怖を克服しようとする場合、「話が続く人、話が上手い人」になるのを
目指さないほうがいいと思います。他人と居て沈黙の時間がある程度あるのは、自然なことなんですが
沈黙恐怖が強くなると、ちょっとの沈黙も自分に対して許せない。

だから、沈黙に慣れる訓練をしたほうがいいと思います。
人と居るときにじっと黙ってるって訓練をする。
これは僕なりの沈黙に慣れるための方法なんですが、人前に出たときにあえて
沈黙する時間を作ってみるということを、時々やります。
沈黙をなんとかしようとすると、余計に話せなくなるし、その焦りの気持ちが人と居るのを
つらくする。逆発想なんですが、自分でここは「今は沈黙する時間」だってことにしとけば、沈黙をなんとかしようって考えより、精神的に楽になる。






内向型の物書きの本田信一さんが書いてたことですが、「何かをしながら」
の雑談をする。ビリヤードやカラオケやスポーツ
をしながらであれば、食事やお酒を飲みに行くのとは違ってそんなに話すこともない。

人間って言葉でのコミニケーションもあるのだが、会話のあるなしに
関わらず、「一緒に何かをする」ということもコミニケーションとして大事なものだ。
会話がなくても一緒に何かをしただけで、その人との距離が縮まるというところがあるから。

 だから、始めは会話をあまり必要としない「何かしながら人と会う」というやり方
から入っていくのも手だ。