私の震災体験

全壊の家

2000年10月6日午後1:30ドド〜ン!!!という音がしたと思ったらグラグラ。なんだ?なんだ?一瞬わけがわからず・・・・。あっ地震!!でも足が動かない。その時私は職場の1Fにいました。このままだと2Fが落ちてきたらつぶれちゃうって思ってもどうしても動けません。パートさんに引っ張られてやっと外へ。でもアスファルトの上に立っているのにまだ揺れている。地球が揺れている感じでした。その後すぐ出発の時間(トラックで配達する仕事なんです)気が動転しているのをおさえながらなんとか運転していました。

ボランティアのページへ

揺れた直後
揺れがおさまってなんとか配達に出たものの配達先(米子市内)でもみなさんかなり動揺されてマンションの方は当分家にはこわくて入れないと言っておられました。あるお店の駐車場はアスファルトがもりあがってしまっていたり、家の屋根瓦がずれていたり壁に亀裂が入ったり・・・。他の人の無線からは道路に塀が倒れてきていて通行が出来ない!とか日野町(震度6強)など震源地ではがけ崩れが発生し道路に大きな岩がころがって通行できないか・・・。こりゃエライことになっている。いったいどうなっているんだろう?

私は配達を無事に終えて帰ってきましたが、境港でも全壊した家もあったり米子市内でも液状化で家が傾いていたり・・・。被害状況が分かるにつれ被害の大きさになんとも言えない感じでした。これはどうしたもんだろう?
2001年01月21日 14時47分23秒

地震発生からのドキュメント
・2000年10月6日鳥取県西部地震発生

・10月7日震源地に近い日野町に行ってみる。行く途中の国道はがけ崩れ、町の中は傾いた家多く、塀も道路に倒れたまま、たくさんの人が避難所に避難。幸い死者はなかった。

・10月8日西伯町にボランティア。倒れた塀(20m)の撤去作業を7人くらいで行った。撤去作業

・10月9日知人の家へお見舞いに行く。みんな元気そうでなにより。

・10月15日日野町へボランティア。グループに分かれて避難所の掃除やホース洗い、前日は土嚢作り。この日はボランティアの数が多かった。

・10月16日日野町黒坂へ。公民館で待機。淀江町の赤十字奉仕団のかたがぜんざいをもってきてくださる。屋根のシート張りの手伝い。

・10月21日溝口町へボランティア。福岡で家を解体したガレキを片付け軽トラックで運ぶ。そのあと解体する倉庫からマキを取り出して運ぶ。壊れそうな倉庫からマキを出すのはたいへんだった。

・11月26日日野町黒坂へボランティアのニーズ聞き取り。屋根のシートが心配だという声もあった。

・2001年1月14日雪。「黒木梨花チャリティーコンサート」でコンサートの前にもちつきがあり、その手伝い。 もちつきをして元気をだそう!!みんな元気で私が元気をもらったみたい。
2001年01月22日 21時42分47秒

翌日からボランティア
じっとしていられず、被害の大きかった地域にボランティアに出かけることにしました。10月8日は西伯町へ、ボランティアセンターから倒れた塀の撤去をしてほしいというニーズがあるとのこと20mに渡って倒れた泥壁の塀を手作業で壊して片付けました。(7人くらいで行ったかな?)

その後仕事が休みのときは日野町・溝口町などへガレキのあとかたづけや屋根のシート張りの手伝い、避難所の掃除などできることは何でもしますっていう思いでやりました。

ところが、今回の被災地域は田舎ということもあり(私の住んでいるところも同じです)自分のことは自分でするから人の(しかも知らない人の)助けはいらない、って断られるんです。ほんとは老人世帯でボランティアの力を借りたほうがいいのにって思っても息子に帰って来てもらったときにやるからとか、ボチボチやるって感じで・・・。そんなこんなでボランティアセンターになかなか最初はニーズが集まっていません。待機しているときも多々ありました。

現在は日野町のみボランティアセンターが開かれておりニーズの聞き取りもしたり、またチャリティーコンサートも開かれたりしています。詳しくは日野町ボランティアセンター

雪の季節、シートのかかった屋根に雪が積もっていてずれたり土嚢が落ちたりという心配もあるようです。
2001年01月21日 15時08分49秒

やっと
我が家もようやく家の修理が終わりました。といっても我が家は被害の程度も少なかったのですが、あちこちの壁にヒビがきていたり、土台に亀裂があったり、お風呂場のタイルにヒビがきていたりしていました。町の方からも補助がありましたし、共済からもお見舞金をいただきなんとか修理ができました。
2001年01月29日 16時54分14秒


私のホームページへ | HeartLand-Momijiのページへ | メイン | 今すぐ登録