
| 結城朝光について 結城駅の北側の旧市街地に寺町というべきお寺の集まった一角がある。そこにある寺院のひとつに浄土真宗寺院称名寺があり、その本堂左手に中世の地方豪族として勇名をはせた結城氏の初代結城朝光の墓がある。朝光は下野の豪族小山氏の出で、源頼朝の近習として使え、有力御家人として活躍した。朝光の母である寒河尼は頼朝の乳母として知られており、頼朝から地頭職に任ぜられている。朝光も結城地方の地頭職に任ぜられ、新しい武士の棟梁として、結城地方を治める基礎作りに取り組んだわけである。朝光は将軍頼朝がなくなると、彼のつめを納めた頼朝の墓をつくったという。。今もその墓は称名寺に残っており、大将塚とよばれている。また、頼朝亡き後も失脚することなく、80歳過ぎまで長生きしている。名門結城氏の基礎を築いた武将として知将といわれたゆえんである。 現在、朝光の墓のある場所にはイチョウの木がそびえており、その墓は結城市の文化財に指定されている。 |

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