結城の史跡のページ

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弘経寺(ぐぎょうじ)
  水海道市飯沼にある弘経寺から分かれた浄土宗寺院で ,江 戸時代には十八檀林(学問所)の一つであっ た。
  俳人与謝蕪村もこの寺で学んでおり,彼をこの地に招い た砂岡雁宕(いさおかがんとう)の墓や蕪村や雁 宕の句碑 を散策することができる。
  また,結城氏18代結城秀康(家康の次男)の息女松姫 の墓もある。
  三ツ葉葵の徳川家の家紋のある賽銭箱もあるので 是非 見に来てほしい。
  
砂岡雁宕(いさおかがんとう)の墓
  砂岡雁宕は結城の俳人で,与謝蕪村と同門の 俳友であり,彼を結城に連れてきたわけである。
  雁宕もまた,松尾芭蕉の「奥の細道」のごとく, 東北地方の旅に出て「雫の森」を著した。江戸時 代当時の文化の高さを思うところである。

永正塚(えいしょうづか)
  かつてこの地には玉岡山永正寺という曹洞宗の寺院が 建っていたが,孝顕寺と名前を変え,別の場所に移された という。
  
玉日姫の墓
  玉日姫とは浄土真宗を起こした親鸞の妻恵信 尼のことである。結城という地は親鸞とゆかりの ある土地ということであろうか。
  なお,玉日姫の墓は笠間の稲田の御坊西念 寺の近くにもある。
源翁和尚の墓
  結城山安穏寺の中興開山の僧。
  那須野が原の九尾の狐伝説で有名な「殺生石」を済度し たとしてよく知られた禅僧であり,安穏寺の山門をくぐると,「 きつねつき 」が治ると言われている。
  石を砕く「げんのう」は彼の名前からきていることをご存じ ですか。結城小学校の北側の道路を西に歩いてすぐのとこ ろにありますので是非訪ねてみてください。
慈眼院御廟(じげんいんごびょう)
  結城朝光以来の結城氏累代の墓であり,大き な五輪塔が十数基並んでいる。
  結城城祉公園の南東に位置しており,かつて 慈眼院という寺院があったが,今は八尺堂観音 がまつられているところとなっている。
山川氏累代の墓
  山川地区の今宿にある曹洞宗の寺院長徳院本堂の左手 奥に,この地域の有力武士団山川氏の歴代の墓地がある 。山川氏は結城朝光の子重光を初代として,現在の上山川 馬場にある東持寺を地頭屋敷としていていたが,南北朝の 戦乱後に南,東,西方を山川沼に囲まれた要害の地に山川 城(綾戸城)を築き,同族の結城氏とともに戦国時代を生き ぬいている。その後,結城秀康の福井転封の際,それに従 い福井に移っている。
東持寺(とうじじ)
  上山川小学校の南側にある曹洞宗の寺院である。
  この寺の周囲には今でも土塁と堀が残っており,  一部を十四ヶ用水が流れている。
  この場所はかつてこの地の豪族山川氏の館跡が あったとされており,地名も馬場といわれている。本 堂から真南に道路が通っていて,不動宿とよばれて いたところに通じている。この馬場というところには, 五輪塔や大板碑が残っており,当時を偲ぶことがで きる。是非見に来てください。
大板碑
  市内塔の下にある華蔵寺は臨済宗の寺院である。
  このお寺の境内に考古資料として大板碑がたってい るが,この石碑はもとは上山川にあったものであり,山川氏と関係の深いものと推定される。
蕪村詩碑
  俳人与謝蕪村は,俳友砂岡雁宕を慕って,1742年に結城にやってきた。それ以来親交のあった早見晋我が亡くなったときに彼の死を悼んで「北寿老仙をいたむ」を詠んだ。この詩は,新体詩の先駆けとしての評価を受けている。
早見晋我の墓
  市内穀町にある日蓮宗寺院妙国寺の墓地の一角に早見家の墓があり,そこに早見晋我の墓もある。早見家は代々酒造家で,晋我は俳諧を榎本其角・佐藤介我に学んでいる。
蕪村句碑
  市内本町にある結城城跡公園には与謝蕪村の句碑が建てられている。結城城は北,東を田川が流れ,城とのあいだは泥深い湿地に囲まれた場所にあり,西から南西にかけて現在結城用水が流れている。空堀も残っている。
 是非関東の有力武士結城氏の古城を散策してほしい。
  「ゆく春や むらさきさむる 筑波山」


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