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進路→受験 私は高校に今すぐにでも行きたいくらい、高校に夢があった。なぜなら自分で高校が選べるから。中学だって選べたけれど自分が選択しなくても自動的に入れたから今の学校へ行って居る。 これからの進路と云うものを考えたときに高校へいきたいと思った。何故なら高校が自分自身を育てるのにぴったりだと感じたから。いきなり社会の厳しさを肌で感じたら自分の居場所がなくなってしまうのではないかと考えたから。私はすぐさま高校受験案内の本を買っ。まずため息をついた。学校を自分で選択することができるくらい東京には高校の数がある。しかし自分にあいそうな学校は何校あるのだろうか・・。 ↓規則ってなに?規則に守られている学校はいっぱいあった。最初規則の厳しい女子高に行ってみた。ミッション系の学校で教育方針はしっかりしていたし、静かな校風がすきだった。英語の授業が充実して英語を得意にしたい私にぴったりだった。。制服も素敵だし、音楽の授業や部活動が盛んだった。大きなオルガンまであった。ただ服装の校則が厳しかった。服装の校則は私の中でとても重要だった。なぜなら「高校になったらこんな中学の校則なんておさらばだ」と嫌々ながら3年間守ってきた。服装の校則というのは私にとって訳の分からないモノだった。服装に関しての校則は絶対可笑しいと思う。中学生だから、高校生だから守らなきゃいけないなんて納得がいかなかった。実力があれば服装なんて関係ないのに、服装でがたがたいってる先生が嫌いだった。必ず服装の話をする時に「社会にでるから・・・・・・」と云っていてなんとなく納得した。 ↓自由は限られた人の物 しかしどんなに変わった格好をしても実力のある人は認められるのだ。その中に入れればとにかくいいのだ。と簡単にいってもとても難しいことである。それに私は何故か規則に甘えたくなかった。だからその女子高はやめた。 次は自由な学校をさがした。公立はだいたい自由だから公立をさがしてみようということで色々さがしてみた。しかし同じ学区内で面白そうな学校はなかった。何か面白い特色がある学校にいってみたかった。 そこで都立の単位制の学校に出会った。留年のない学校で自分で時間割りが組めるという画期的な学校。逆を言えばとても大変な学校である。昼間の定時制の高校。4部にわかれていて自分にあった時間が選べる。例えば、朝は学校いって午後は自分のやりたい事に打ち込める事が可能である。例えば楽器を習ったりとかできるわけ。学校の校風はぴったりだった。自分で色々決めて、自分で責任をとる。そして、本当に勉強がしたい人が居るところだった。自分の今のまわりにはいないタイプの人ばかりだった。中退したけど勉強がしたいとか、もう社会人だけど勉強したい人とか色んな人がいる高校だった。先生より生徒に教えてもらう事が多い学校なのかもしれない。もう社会にほうりこまれたような厳しさのある学校だ。しかし受験状況がとても厳しく、都立の問題3教科満点に近い点をとらないと入れない。自由には実力が必要なのだという事を率直に伝えている学校だ。確かに実力が無いと自由は手にいれられないもんなぁ。この前新宿山吹の文化祭にいかせていただきました。元気な生徒がたくさんいた。誰にもまけないような元気。一度もあったこともないのに、気軽にはなしかけてくれる生徒。ちょっと圧倒された。校内新聞がなかったから自分達でつくちゃおうというパワー。それも二人で。良く出来た新聞だなぁと思ったら「二人でつくりました」って事が書いてあってびっくりした。説明会の時にいっていたけど「この指とまれ方式」で色んな事が進められていく学校なのである。 ↓どうやって志望校をきめたか?言わば博打ような物なのですべり止め校を探さなくてはならない。どうでもいい高校に入るのは嫌だったので1からの学校探しだった。こんどはすべり止めになるという条件つきだ。そんなときに自由の森学園高校に出会った。とりあえず今度の土曜に公開授業があるそうなのでさっそくいってみた。埼玉の自然が溢れている場所にある、とても不思議な学校だった。すごく驚いた。自由の森の先生が考えてる子供達がどうしたら学べるかという姿勢が素敵だった。自由の森の生徒が自分の意見を率直にいえるのが素敵だった。意見を言ったり、教師の姿勢はもしかしてとても当たり前の事なのかもしれない。しかし、私の周りにいる教師や友達はそれができていない。それができる子がいてもごく少数派だったりするのだ。学校の先生は適当に授業をしてお金もらっているだけだし。「身体はってお前らを親から預かってるんだ」とか言ってるけど、嘘だ。職員会議では校長先生のいいなりになってるのさ。どうせ先生達なんか出世目当てなのである。「学校の先生」をしているだけなのに、すごく威張っている。「絶対教師になんかなるもんか」と、決心したのも中学生の時だ。そんな風に学校の教師をみていた私は自由の森学園にしっぺがえしをくらった。たまたま自由の森の先生方の話をきけた時の事だ。音楽科の分科会の時だ。音楽の授業のやり方をふりかえるという内容だった。「生徒は歌を歌わないものだと思っていた。しかし、自森の子は大きな声で歌っていてとても驚いた記憶があります。(後略)」学校の教師が本音をいった。教師が本音をいうなんて・・。ショッキングな出来事だった。その謎を解くべく自由の森を調べることにした。答えは今だでていない。しかし、自由の森に行けばきっとその答えのヒントが見つかるのではないかと思っている。 ↓なぜわたしは内申を嫌うか?そして自由の森は内申評価というものがない。数字で左右される人間がきらいだった、数字で物事が決まってしまうのが嫌だった私にとって喜ばしいことである。わたしが教育に求めるものは大学進学でもなく、偏差値でもなく、テストの点数でもない。勉強のおもしろさだと思うのだ。まぁかなり綺麗事をいう餓鬼でごめんなさい。でも勉強がおもしろくなければいくら勉強ができたってつまらないものでしかないのさ。「勉強=つまらない」の公式をつくってほしくない。勉強の面白さをしれば自然とやる気はでてくる。 しかし、数字で評価する社会を受けとめなければいけないという現実もある。自分たちで数字で評価しない社会をつくる義務がある。近い将来数字だけでは駄目な社会があるのではないだろうか。 ↓なぜまともな授業が受けられないのか?自由の森で授業という物をちゃんとうけてみたいという、夢がある。新宿山吹で勉強をしたい生徒と授業を受けたいという、夢がある。取りあえず中3になってからまともな授業をうけたことがない。先生は毎日男子の態度の悪さに激怒。何時も説教の為に授業が進まない。真面目に授業を受けている子たちに「ごめんね。一部の人の達のために。」といい続けている。結局態度の悪い奴らは「説教の免疫」がつき受験前の12月現在でも授業妨害をする。奴らは自分の行動に責任というものがある事をしらない。皆(私を含めて)やつらがこわいので一言も注意しない。注意するのはもう馬鹿にされてる、先生たちだけ。 みんなとちがうことがしたい。それが一番最初にある ↓社会の中での自由のありかた 一部の人にしかない特権だ。だれでも手にいれられることではない。私は最近そう教えられた。いくら自分の行く学校では自由でも社会にでたらそれは通用しない。仕事だから自由が奪われるのは当然だ。 まぁ、なにがともあれ勉強してうかんないとしようがないのである。 |