2003年あざらしようこKCRoyals応援・観戦記 

〜それいけのKauffman Stadium突撃!!編〜

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7 Truman Presidential Museum and Library
日本とアメリカの不幸な過去を見る。
大切な何かが、まだ伝えられないままこの地に眠っている。


(これは私が現地で購入した二冊の本です。左のものは子供向けに書かれた物です。
右のは歴代の大統領の暮らした建物の写真などが豊富に入っていて、見ていて飽きません。
どちらもWillさんが勧めてくれたのですが、アメリカの歴史を
手っ取り早く学ぶのであれば、アメリカの大統領史
を知るのが一番かもしれません。
確か米国市民権か永住権を得るためにはアメリカ大統領史などについての
簡単なテストがあると聞いたことがありますが、
この本を読んで「むべなるかな」と感じました。まさにアメリカの根幹をなすものなのです。
アメリカを知るための、第一歩。避けては通れない?!関門なのではないでしょうか。)

(Truman Presidential Museum & Libraryへ)

 七月三日の午後一時、Willさんが私を迎えに来てくれました。この日は私を地元Independenceという地区にあるTruman Presidential Museum & Libraryへ連れて行ってくれるということになっていました。Willさんは何と言っても元々大学で政治科学を教えていらっしゃった教授です。(まさにその道のプロ!笑)私を案内するのを、かなり楽しみにしてくださっていたようでした。

(いきなりの抜き打ちテストに落第?!

 ただ、元来先生というだけあって、Willさんと二人になるとまるで話が学校の先生と生徒のような会話にいつもなるのです。行きの車の道中では、突然Truman元大統領の説明に始まり、「Yoko、仏教について説明して」とか言い出してびっくりしました。「そ、そんなん日本語でも急に言われたら説明できんわ!」と焦りつつ、「さて、キリスト教徒の人に何て説明したら良いのだろう?」「浄土と天国の違いって??へ?!」と考えながら大乗仏教と小乗仏教の違いとかを懸命に、でもしどろもどろになりながら必死に話しました。Willさんは、「キリスト教との違いは?」などツッコミをいれつつ、じっと私の下手くそな英語も我慢して聞いてくださっていました...。(涙)ホント、どこまでも「先生」な方です。(いきなり抜き打ちテストを受けさせられて思いっきり落第した気分でした。とほほ

(地元警察のパトカーに先導されて)

 高速を降りて、博物館の案内の看板に従い道を進むと、だんだん建物が見えてきました。でも、駐車場に入る道が今ひとつわかりません。Willさんが「どっちかな?」と車を止めて迷っていると、地元警察のパトカーが親切にやってきてくれました。「駐車場はどっちかい?」「いやあ、今日は日本からロイヤルズファンの女性を連れてきているんだよ!彼女日本でロイヤルズのファンサイトをしていてね」などなど世間話をした後、(ちなみに、PaulaさんもWillさんも私を地元の皆さんに紹介する時、必ずといって良いほどかなり長め?な話になってしまいます。苦笑)「じゃ、ついてきて」と警察の人が先導してくれました。他にあまり車もなく、のんびりした太陽の陽射しのまぶしい午後。みんな親切で明るく、時間がゆったりと過ぎていくのを感じます。駐車場に到着後、笑顔でThank you!と挨拶をしてわかれました。

(DEWEY DEFEATS TRUMAN)

 「Yoko、このDEWEY DEFEATS TRUMANを知っているか?」と博物館の入口に向かう坂の途中で突然聞かれました。ふと顔を見上げると、Willさんの指さす向こうには、大きくTruman氏が新聞を掲げて映っている写真を元に作られたflagが入口に掲げられていました。(右の写真がそれです。)知らない、と言うといろいろ説明してくれました。この写真はアメリカでは大変有名なもので、たいていの人が知っているものだということ。1948年の大統領選で、誰しもが、共和党員や選挙の専門家、Truman氏が属する民主党員までもが競争相手であるDewey氏が大統領になると予測していたということ。そしてChicago Daily Tribuneが選挙結果が判明するより先に新聞を刷ってしまい、勝手にDewey氏が勝ったとの誤報を思い切り見出しにしたものを配布してしまったこと。そして、選挙結果が判明した日に地元のミズーリからワシントンDCに移動する途中、列車がセントルイスで小停止している時、あの新聞を掲げてTruman氏が現れたこと。そうしてこの歴史的に貴重な写真が撮られたのだと、Willさんはまるでそれが昨日起きたことであるかのようにいきいきと説明してくれました。(くわしく知りたい方は、こちらをどうぞ!)

(写真はたったの一枚だけ!)

 ちなみに、ここでとった写真は上の博物館入口でWillさんに撮ってもらったこの一枚だけです。というのも、博物館入口に入った途端「そのカバン開けて!」と中をチェックされ、カメラがあるのを見て取ると、警備員の人にしつこく「写真は撮ってもいいけど、フラッシュは絶対にたかないで!」と念押しされたのです。(中の展示物がフラッシュで傷むのを防止するためです。)実際、中に入ってみたら館内は暗くて、とても写真を撮れる環境ではないと判断。周りの人も誰も写真を撮ってないし、とその時点でカメラバックにカメラをさっさとしまい込んでしましました。(残念だったけど、しょうがないです。

(この博物館は、何かが違う)

 博物館に初めて入った時、Willさんの知り合いとおぼしき初老の白人男性が声をかけてきました。蝶ネクタイをしていて、帽子もまるでヨーロッパの上流階級の紳士が愛用するような、かっちりしたものを被っていました。どうやら、話を立ち聞きする限りでは大学教授仲間のようで、ふと辺りを見回すと、ここの博物館にはそういった雰囲気の方が多く見受けられるように感じられました。白人の中高年の方が実に多く、子供はちらほらといる位。黒人やヒスパニック、アジア人の姿はほぼ皆無であり、白人の中でも身なりがかなりきっちりとした上流階級?と言うような方が多かったように感じられました。偶然という部分もあるでしょうが、やはり博物館のテーマが元大統領であるだけに、来るお客の層も偏る傾向があるのかもしれないな、と推測せずにはいられませんでした。

 私も、おそらくWillさんの案内がなければ来ることは今回なかったと思います。ここは、博物館です。もちろんお金を払えば、誰でも自由に入れる場所に違いありません。けれども、物見遊山の観光で気軽に来て、手軽に楽しむための場所では決してないのです。私もWillさんが横にいてくれるから、おじいさんが孫を可愛がるように守ってくれているからこそ、その場にいることがあたかも「許されている」かのように感じていました。そんなの、自分の考えすぎだと自分に言い聞かせつつも、なぜか正直な所そう思えてなりませんでした。

(Truman大統領とは)

 お恥ずかしながら、私は実はここの博物館に来るまであまりアメリカ大統領の歴史にさほどの関心はありませんでした。Truman元大統領について知っていることも、学校で習った歴史の範疇を超える物ではなかったです。あの歴史的に有名なルーズベルト大統領の後に大統領になった人日本の第二次大戦の終戦の時のアメリカ大統領、ぐらいの粗末な認識しかありませんでした。

 入口から入ってすぐの所に、当時の大統領執務室Oval Officeを再現した空間が見えました。その右手をゆくと、大統領の生い立ちなど、個人としての紹介のパネルが続きました。(この博物館のパンフレットをご覧になりたい方は、こちら2ページ(12)をご覧下さい。拡大したものです。)彼が生まれた場所や自らの家を構えたIndependenceの地。カンザスシティでの若き銀行員時代や農夫として働いた大農場について。当時のカンザスシティの様子や、第一次大戦中の従軍、後に上院議員となりやがて大統領となるまでの経過が詳しく展示されていました。(補足になりますが、左の写真はIndependenceの街のガイドブックからの抜粋です。拡大した物をご覧になりたい方はこちら(12)をご覧下さい。)

(博物館で目にした悲しい史実

 そして、このTruman氏が大統領であった時に起きたこと、彼の歴史的決断などについて展示するコーナーに来たとき、まっさきに目に飛び込んできたのは、日本の広島や長崎に原爆を落とした時の新聞記事でした。

 JAPという今は禁じられた差別用語が、一面をセンセーショナルに飾り立てる衝撃的な見出し。日本兵?らしき人物を奇怪に描いた当時の新聞のイラスト。誤解と無知、見知らぬ脅威に対する恐怖感が、この歪曲を描かせたのでしょう。B29の戦闘機についての、誇らしげな記事。かつて、私の祖母は自分の住む街の頭上をこの飛行機が飛び交っていたことを、私に話していたことがありました。当時まだ幼かった父は、祖母に手を握りしめられて、B29の爆撃を受けながら必死に逃げまどったようですが、余程そのことを語るのがつらかったのか、私には亡くなるまでついにぞその話をしてくれたことはありませんでした。「B29が父の頭の上を飛んでいったと聞いている」と新聞記事の前でWillに告げると、Willは「君のお父さんは軍の基地にいたのかい?」と返事を返してきました。歴史的な事情に詳しいWillですら、B29が一般の市民が暮らす街をごく「普通」に攻撃していたことが、ピンとはきていない様子でした。

 そして、私とWillのこの会話は周囲のアメリカ人の方々の耳にも入っていたようでした。一見してそこにいる日本人は私だけ。その展示物の前でかつての日本と米国の暗い過去について話をしている私達。日本人として、どうしても伝えたい大切な想いと、自分が日本人であることに対する厳しい視線。やるせなさと、逃げ場のなさ。私の話すつたない英語が、一層その場人々の間に流れる緊張感を掻き立ててしまっているのを肌で感じずにはいられませんでした。この街に住む人々の誇りである元大統領が、原爆を投下することを決断したという事実そしてその決断を正しいと信じて疑わない地元のアメリカの人々。皆善良な、普通の一市民であり、実にここの多くの人々に私は親切にされている。そして原爆に対するあまりの日米の認識の隔たりの大きさそこにある、戦後五十年以上過ぎても、尚全く埋められていない、手つかずのままの深く大きな溝戦争は過去でありながらも、残された問題は未だ解決されずそこに残されて放置されたままなのです。

 そして、その時ようやく合点したことがありました。

 Willさんが、博物館に向かう時、車に乗ってすぐ一番最初に私に「どうしてもこれだけは伝えておきたい!」と言わんばかりの口調で話してくれたことがあったのです。

Yoko、日本は本当にすごい国だと私は心からそう思っている。君の国は第二次大戦で大きな敗北を喫したが、でもその後そこから復興を遂げ、今は世界最高水準の製品を作り続けている。君は本当にこのことを誇りに思っていいはずだ。」と。

 なぜこの言葉をWillさんがこのことを私に話してくれたのか。それは彼なりの日本人の私に対する、精一杯の配慮だったのでしょう。

(トルーマン大統領の声を聞く)

 第二次世界大戦の終戦と、日本の敗戦。そして朝鮮戦争で戦う兵士の写真パネル。その下には、寄せ書きのためのノートがあり、「私もKoreaで兵士として参戦しました。」という書き込みをいくつも見ました。38度線と逃げまどう朝鮮半島の人々の写真ソビエト連邦との冷戦の始まり第二次大戦後のヨーロッパの戦後復興。いくつものコーナーを通り抜けると、やがて向こうの方から小さく、そして段々と強くトルーマン大統領の声が聞こえてきたのです。

 そこは、トルーマン大統領の選挙の演説の様子の8ミリ映画を繰り返し上映している部屋でした。中は、皆同じバッジをつけた、ルイジアナから団体で来ている中高年の白人の方々で一杯でした。一番端の二つの席を空けてもらい、そこにWillと私は腰を下ろし、しばしの間今は亡き大統領の演説に耳を傾けました。

 そして次の瞬間、その空間は五十年以上前に戻っていたのです。

 おそらく、そこにいる多くの人が若かりし頃に聞いたであろうトルーマンの声。その演説に込められた溢れんばかりの熱情と愛国心が、皆の心を完全に1940年代の彼方へと引き戻していました。皆のアメリカという母国を思う神聖な思い自分たちへのリーダーへのどこまでも熱い、一途なまでの尊敬当時の情熱と祈り、懐古したいという気持ちと願いが、どこまでも部屋を支配しているのです。ここにいる多くのアメリカ人の方々は、その思いを味わいたくて、そのためにここにやってきているのではないか?とそう思わずにはいられませんでした。

(最後に手にした二冊の本

 この博物館を去る前に、たくさんの共和党と民主党のグッズが溢れるおみやげ物売り場で、私は二冊の本を買いました。一番最初に掲示したものがその表紙ですが、これまで興味がほとんどなかったアメリカの歴史を強く知りたいともうその時は思うようになっていました。私は知らなくてはならないと、このアメリカという国をもっと知り、日本人としてこの場で発言する責任があるのではないかと、そう感じていたのです。今はそれがまだできない自分であるけれど、やがてそういうことができるようになっていたいと。今までは何も知らなかったし、知らないで済まされていたけれど、一度知ってしまった以上何も自分には関係がないという態度は許されないだろうと。

 そう、この場所には、このKansas Cityという街にはまだ多くの何か大切なものが眠っているのです。日本にとっても、アメリカにとっても本当に一番重大な問題、根幹的な課題がまだ手つかずのまま残されているという現実。なぜこの街にそれがあるのか、そしてなぜ今自分はそのことに向かい合おうとしているのか。日本に帰ってきてかなり時間が経つ今であっても、私にはこの問題が、疑念が頭を離れないのです。

 このKansas Cityという街は、物見遊山の観光で来るのであれば、物足りない所かもしれません。でも、もしアメリカの精神を知りたいと思うのであれば、それを肌で感じたいと願うのであれば、一度は訪れてみるといいのではないでしょうかむきだしのままの、ありのままのアメリカの一端が、間違いなく感じとれると思うからです。時には強く、強すぎるように感じられることもあるかもしれませんが、何かを学ぶにはとても得る物の多い場所であることは確かであると、そう思います。(2004/2/26)

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