今日、京都に帰ってきた。京都駅で少しぶらぶらしてから下宿に戻った。行き交う人々はみんなとても楽しそうだった。みんな、生きることを十分に楽しんでいるように見えた。それなのに、どうして僕にはそれができないのだろうね。それとも、みんな楽しそうなふりをしているだけで、本当は誰でも人には言えない苦しみを背負って生きているのかな。でも、もしそうだとしたら、どうしてみんな生きているんだろうね。こんな、ただ苦しいだけの世の中で。こんな事思うの、自分だけかな。そんなことないよね。だって、毎年たくさんの人たちが自殺しているもんね。
下宿に戻ってきたら母親から電話。今日、自分と別れてから調子が悪くなったということだ。どうやら京都に戻って行った自分が悪いと言いたいらしい。母親としては一緒にいれば精神的に安定するから、ずっと一緒にいればそれで問題は解決すると思いこんでいるようであるが、それは実際には単なる問題の先延ばしにすぎない。本人の内部に問題があるということに全く気づいていない。母親の診察をしている精神科医は一体何をしているのかと言いたくなる。(また母親の悪口になってしまった。)
どうでもいいことだが、さっきお茶を飲むときに失敗してひどくむせてしまった。なんとなくまだ肺の中に残っているような感じがする。咳が止まらない。大丈夫だろうか・・・。まぁ、最悪でも死ぬだけだけどね。
ついに明日京都に帰ることになった。ということで、今日は両親と一緒に飲みに行った。両親の結婚の時の秘話(?)なども聞けてそれなりに良かった。母親は相変わらずイヤなことも言ってくるが、酒の席ということで気にしない、気にしない。こういう言葉の一つ一つを気にしていたら、とてもじゃないが身が持たない。相手よりも自分の方がまだ精神状態には余裕があるのだから(本当か?)、余裕がある方が軽く受け流していくよりほかに仕方がないのかもしれない。
しかし、これから先もずっとこのような関係が続いていくのだろうか。何となく、母親に全てをうち明ける日は永久に来ないような気もする。別に母親は自分の全てを知っていなくてはならないわけでもないし、また知るべきでもないように思う。こちらの側で相手の言うことを聞いたり聞かなかったり適当に使い分ければ良いだけのことだ。(それだけでは解決できない問題が存在することもまた事実だが。)
心理学の本なんかを読むと「子供は親に全面的に受け入れられて育つべきだ。」みたいなことが書いてあることがあるが、現実問題としてはそのようにして育った人間の数なんてほんのわずかだろうと思う。大部分は不十分な親と、時々けんかをしたりまた和解をしたりしながら何とか折り合いをつけて成長していくものなのだろうと思う。
母親の前では優しい顔をしておりながら、裏ではこうやって母親の悪口を言っている自分がつくづくイヤになる。最低の人間だと思う。自分は人が陰口をたたいているのを聞くと非常にイヤな気分になるのに、そのくせ自分は平気で人の陰口をたたいている。不特定多数(理論的には世界中?)の人たちに見せている分、むしろ自分の方が普通の人のよりも罪が重いだろうと思う。
実は今この日記は、親がいない隙に親父のパソコンを使って書いてアップロードしている。だから、自分の好きなときに書くというわけにもいかないし、非常にリスキーでもある。もし万が一見つかったりしたら、それこそ大変なことになる。そこまでの危険を冒して書いているのが、このような人の悪口や愚痴ばかりである。自分はどこまでも根の腐った人間だと思う。
今日は母親と二人で母方の祖父母の家に行って来た。祖父母の家へは車で一時間弱ぐらいかかり、結局自分が行きも帰りも運転する羽目になった。(まぁ、確かにたまに帰省したときぐらい運転しないとペーパードライバーになってしまうというのも事実なのだが。)そこでいろいろと話をしたのだが、どうも自分の親戚には鬱の人間が多いらしい。「らしい」というのは、自分の親戚はみんな地理的に散らばっているためあまり交流がなく、お互いの事情をあまりよく知らないからである。中には自殺してしまった人もいるということだ。もしかしたら、遺伝的に鬱の要因を持った家系なのかもしれない。自分も因果なところに生まれてきたものである。でも、実は自分もそうであるなどということは口が裂けても絶対に言えない。言うことによって有益な援助が得られるのならいいが、今の状態では弱みを見せればただつけ込まれるだけである。そんなぐらいなら最初から死んだ方がましである。
しかし、自分が死んだらやはり親は困るのだろうか。自分としては、苦しみから逃れるための自殺はするが、親に復讐しようなどというつもりは全くないので、あまり親に迷惑をかけるというのもいまいちである。確かに老後の介護者として育てたのにそれがいなくなるのは当てが外れることになるが、どうやら金銭面についてはそれほど不自由でもないらしい。自分に遺産を残す必要がないなら、むしろその分豪勢な老後を送れるみたいなことも言っていたし。ということで、別に自分は自分の好きなときに勝手に死んでいいようである。まぁ、死体も見つからないようにするつもりであるし、遺書にも葬式などあげなくてよい旨を書き置くつもりであるから、それほど大きな問題も起こらないであろう。
昼間一人の時にちょっと机の中をあさっていたら、かみそりが出てきた。結局自分がこの長く暗いトンネルから抜け出る手段はこれしかないのかもしれないと思った。でも、なんだかあまり確実に行けそうな気がしなかったからやめておいた。実家で未遂などやらかした日には、それこそ二度と親元から離れられなくなってしまう。毎日監視され続ける日々が待っているかと思うと考えただけでぞっとする。結局、このリスクの大きさが今の自分に自殺を思いとどまらせているような気もする。
余談であるが、手首を切って自殺するときには、手首の動脈のところをえぐるようにして縦に切るのがよいのだそうだ。確かに自分も以前にもう本気で死のうと思ったときに、包丁を横に手首に当ててみて、どうしても手首の骨や筋に包丁の刃が当たってしまうのに苦慮した覚えがある。血管だけがすっぱりと切れるのならいいが、さすがに包丁の刃が手首の筋に当たってゾリゾリとこすれる感触というのは想像しただけでおぞましいものがあり、ぞっとしてやめてしまった。(結局いつもやめてばっかり。臆病者だね。)
そういえば、母親と話していて妙なことがわかった。どうやら自分は母親の母乳をほとんど飲まないで育ったらしい。自分は生まれたとき未熟児だったから生後しばらくの間を保育器の中で過ごしたが、そのときに哺乳瓶でミルクをもらっていたためにそちらの方に慣れてしまい、退院してきてからも母親のおっぱいを全く受け付けなかったのだそうだ。自分が、母親の胸に抱かれておっぱいを飲んでいる赤ん坊に強くあこがれる理由がやっとわかったような気がする。(そんなわけないか。)
自分はいったいなにができたら幸せなのだろう。なにをしたいのだろう。さっぱりわからない。別にそんなにお金持ちになりたいとも思わない。お金は最低限暮らしていけるだけあればそれ以上は無意味なような気もする。それに、暮らしていけなければどこかでのたれ死にすればいいだけのことである。別に名声もほしいとは思わない。というか、誰からも注目されたくない。食べ物の味などさっぱりわからないから、おいしいものをたらふく食べたいと言う人の気持ちもいまいちよくわからない。長生きしたいとも思わない。明日死んでも、別に構わないだろうと思う。ましてや「永遠の命」なんて、こちらからご遠慮申し上げる。
自分のような人間は、結局のところ世の中で上手に生きていくことはできないだろうと思う。この世の中、上手に生きていこうと一生懸命努力してさえも、うまく生きていけない人もたくさんいるというのに、本人ががんばろうと思っていないのだからうまくいくはずがない。
自分はいったいいつまで生きているつもりをしているのだろう。確かこの日記を書き始めたとき「この日記が自分の最後の記録になる」みたいなことを書いたような記憶があるのだが、未だに自分は生きている。自分の決断力のなさが情けない。そうだ、自分が今唯一ほしいもの、それは自殺の決断をするだけの勇気である。それ以外は何も要らない。
昨日の夜、自分の将来のことについて、少し父親と話をした。でも、あまりうまく話すことが出来なかった。考えてみれば当たり前である。自分は明日にでも首を吊るかもしれないと考えているような人間なのである。そんな、何年も何十年も先のことなんて、そんなときまで生きているはずがないとしか考えていない。しかし、現実的な問題として考えた場合、自分にとっても両親にとっても自分の将来というのは確かに切実な問題である。まさか、親に対して「そんなときまで生きていませんから。」と言うわけにもいかない。親が自分を貴重な老後の資金源(&介護者)として期待しているのは痛いほどよくわかる。実家に帰ってきてからは特に強くそれを感じる。しかし、自分がとてもその期待に添えるほどの人間ではないということも事実である。
もうこれ以上、親に思わせぶりの期待をさせるべきではないようにも思う。これ以上自分に投資なんかしても、無駄になるだけだと思う。というか、自分に勇気がないがために、自分は親をだまして安楽な生活をかすめ取っているように思う。自分はもうこれ以上生きているべきではないように思う。決断を急ぐべきだと思う。
当たり前の話だが、結局のところ、他人にとって自分というのはどうでもいい存在なのだろうと思う。自分がどういうことで悩んでいようが、どこでどんな風に死のうが、そんなことにはだれも興味がないだろうと思う。ただあるのは、自分が相手に利益をもたらすか、損害をもたらすかだけだろう。
そういう意味で、この日記は本当に無意味な存在だと思う。何かためになることが書いてあるわけでもない。読んでいて楽しいわけでもない。まぁ、もともと誰かに読んでもらおうと思って書いているわけではないのだから(!?)、そんなことはどうでもいいと言えばどうでもいいのかもしれないが、出来ることなら、見に来た人が「得をした」と思ってくれた方が「見るだけ時間の損だった」と思うよりは、自分としてもうれしいような気もする。(その方が多少は自分の存在意義もあるような気がするし。)
でも、いったい何をしたら人の利益になるんだろうねぇ。(あまり真剣に考えてない・・・。)結局、自分は自己中なんだろうね。(よく言われる。)
時々、以前に腎臓の病気で検査入院したときのことを懐かしく思い出す。自分としては、とても住み心地が良かったように思う。(見舞いにきてくれた友人の一人は、イヤな雰囲気だったと言っていたが。)何よりも良かったのは、自分に何も期待されていないということである。歩くことさえできなかった時でも、何一つ文句も言わず、笑顔で接してもらえたことである。確かに、病院は病気やけがの人が来るところなのだから、歩けるということは当然のことではないのかもしれないが、それだからこそ、回復して普通に歩けるようになったときには、ただ歩けるようになったというそれだけのことで、よかったねと言ってもらえた。もしかすると、死に瀕するような病を背負っている人などには、ただ今日一日を生きたということだけでも、暖かい言葉がかけられているのかもしれない。
普段自分たちは「出来て当然」と期待されていることがいくつもあるように思う。そしてそれが出来ない人間に対しては、白い目を向けているような気がする。しかし、本当はそれは間違っているのかもしれない。この入院で自分は、生きているただそれだけで歓迎される、そういう感覚を初めて経験したような気がする。もちろんそれは病院という特殊な環境であって、普通の社会ではそんな甘ったれた考え方は通用しないのだろうが・・・。
(注意)この入院は背中に穴をあけて腎臓の細胞を取り出して調べるためのもので、そのためにその後しばらく動くことが出来なかったというだけです。別に、あまりに病状がひどく歩くこともままならなかったというわけではありませんのであしからず。
今朝は変な夢を見た。学校でなぜか教師がクラス全員にくじを引かせている。何のくじだろうと思いながら引いてみると、どうやら自分は、運悪く戦争で最前線に行くというのが当たってしまったらしい。いつの間に戦争なんか始まったのかどうにも思い当たらないが、学生にこんなくじを引かせるくらいだから、よほど戦況は良くないのだろう。自分はもう戦死することが確定したといったような雰囲気だった。他の人たちの「はずれ」くじをうらやましく思いながら立ちつくしたところで目が覚めた。
自分はいつも「死にたい、死にたい」と言っているが、いざ実際にこういう場面になってみると、急に命が惜しくなる。本当は、自分は普通の人たちよりもずっと強く死というものを恐れているのかもしれない。前にも書いているように思うが、自分は非常に体が弱い。腎臓の病気の治療のために薬も飲んでいる。考えてみれば、薬をまじめに飲みながら、死にたい死にたいと言っているのだから、全くばかげている。そんなに死にたいのなら、まず薬を飲むのをやめればいいのにね。
早朝覚醒。最悪の気分。どこかへ行って、首でも吊ってしまいたい気分だが、天気が悪いから、お外へ出る気にもならない。チョンと首さえ吊ってしまえば、それですべてが終わってくれるのに、死ぬ気力さえない自分がイヤになる。つくづく、自分は生まれてこなければ良かったと思う。
人間世界というのは、あまりにも甘いように思う。自然界では、ちょっと油断したところを襲われれば、八つ裂きにされて喰われるという運命が待っている。それが人間社会では、どんな凶悪犯でも八つ裂きの刑になるなどということはまずない。死刑にさえ「人道」が問われる。自分のようなどうしようもない人間は、すぐにどこかでのたれ死ぬか、他の者に喰われるかすれば、本人も周囲も納得できるだろうにと思う。
死ぬ勇気さえない自分が一番悪いのだけどね・・・。
やはりどうしても夜の眠りが浅い。それで、夜の睡眠だけでは足りず、どうしても午前中いっぱいは朝寝をしてしまう。って、こんなのただだらけているだけだよね。朝寝ばっかりしているから、夜眠れないのなんて当たり前だよね。自分は、いろいろといいわけをしているけれども、結局のところ、ただの怠け者だと思う。情けない。
弱肉強食の自然界では、自分みたいな人間はとても生き残っていけないだろうと思う。というか、自分は生まれたときから未熟児だったから、たぶんもともと数時間の命しか与えられていなかっただろうとも思う。それを考えると、自分の命を救ってくれた医者に感謝すべきか・・・。それとも恨むべきか・・・。
だからある意味、自分みたいな人間は自分の境遇に対して、一言も文句を言う資格などないのかもしれない。今現在生きているということだけでもすでに身分不相応な境遇だと感謝しなくてはならないのだろう。あえて言うならば、生まれたときそのまま助からずに死んでしまえば、親にとっても自分にとっても、もっと良かったのかもしれないが・・・。
今日は、同じ高校だった友人がパットゴルフに誘ってくれた。この友人は、毎度自分が帰省する度になにかと誘ってくれる。とてもありがたいと思う。結果は、3ホール回って結局すべてダントツのビリだったが(^^;)、それでもとても楽しかった。しかし、どうにも自分は遊ぶのが下手である。というか、何をやらせても落第点といった方がいいかもしれないが。(何しろ、ある人には「人間として欠陥品」とまで言われてしまったくらいなのだから。)どうして神様は自分みたいな人間を造ったんでしょうねぇ。
家に帰ってきてから、また母親ともめた。こちらがひいているから、全面衝突にはならないが、どうも自分の言っていることが理解できているとは思えない。もっときつく言った方がいいのだろうか。ただ、今の母親に自分自身をしっかり見つめ直させるというのも、かなり酷である。薬に頼ってようやくパニックを免れているような状態では、とても悩みの本質と向き合うのは不可能である。
本音を言うと、もし自分だけの都合で自由にできるのなら、明日にでも京都に帰りたい気分である。このままでは、自分にも負担がかかりすぎる。環境が劣悪すぎる。もう、疲れた。
自分はいったいどうすればいいのだろう。このままでは駄目なのはわかっている。もし母親が今の状態のままで、たとえば自分が結婚することになったとしたら、母親は間違いなく自分を嫁さんに奪われたと受け取って、攻撃してくるであろう。嫁姑問題というのは、一般にgeneration gapが原因のように考えられているが、その根本にはこういう問題があるのではないだろうか。あるいは、結婚でなくても自分が母親よりも大事なものを見つければ、おそらくそれらはすべて母親の攻撃対象になるであろう。当然、自分が自分自身の幸福を母親の幸福よりも優先させれば、自分自身の幸福が、攻撃されることになる。
母親の根本にあるのは、自分に対する幼児的な一体化願望である。しかも都合の悪いことには、本人は全くそれに気がつかない。長い間、このような心を持ちながら生きてきた結果、この一体化願望を上手に包み隠す手段を身につけてしまっている。それどころか、あまりに上手に隠しすぎて、自分自身でもそのような願望が根本にあることが理解できなくなってしまっている。そして「あなたのために」という言葉を連呼する。それがうまくいかなくなると、今度は手のひらを返したように「こんなによくしてやったのに」とくる。それでも離れていったら、おそらく「ストーカー」的な行動に出るであろう。どうにも手に負えない。
自分自身も同じような問題を抱えている。このままでは、自分も同じような幼児的一体化願望で、自分の周りの人たちを食い物にしてしまうことになる。(すでにしているし)自分にもし子供ができたら、間違いなく子供に対して母親と同じようなことをしてしまうであろう。何とかして、早く解決しなくてはならない。
自分はいったいどうしたらいいのだろう。母親に対して治療的な立場になって、まず母親の問題を解決するべきなのだろうか。それとも、まず先に自分の問題を解決するべきなのだろうか。自分自身の問題も解決しないうちに、他人の問題を解決できるのかと言われると、確かにそれは疑問である。しかし、母親との関係は次第に悪くなってきており、時間的にもあまり余裕はない。しかも自分の問題を解決するためには、どうしても母親に負担がかかる。(何しろ、自分が自分自身の幸福を求めることは母親にとっては許せないことなのだから。)非常に難しい問題である。
今日、金沢の実家に帰省した。実家には、自分が高校ぐらいの頃から飼っている猫がいるのだが、顔を合わせたらさっそく甘えてきた。今も、すぐ近くで寝転がっている。非常に甘えん坊の猫だ。この猫に会うのは、実家に帰っての数少ない楽しみの一つかもしれない。
夕食の時に院進学の件でさっそく母親とトラブった。どうやら、母親としてはなんとしても老後(というより、たぶん今からずっと)自分と一緒に暮らしたいらしい。そのためには、子供の将来がどうなろうが、そんなことはどうでもいいようだ。(子供が将来お金を稼げなくて、その結果母親の老後が安定しなくなるのは困るが。)結局のところ、母親は本人の老後のために自分を育てたのであって、自分の幸福などには何の興味もない。そういう人なのだ。首でも吊って自殺してやろうかとも思ったが、つまらないからやめにした。
今日は、帰省のためのおみやげを買いに出かけた。考えるのが面倒だったから、適当に千枚漬けや八つ橋など、京都の定番を買ってきた。(八つ橋は一体何回目だろう・・・^^;)その後、本屋によってちょっと立ち読みしてから帰った。疲れた。
で、帰ってきたら母親から電話。大学院のことで、またもめた。「老後の面倒を見ないのなら、大学院へ行くお金は出さない。」みたいなことを言ってきた。まぁ、ある意味、経済的に独立するチャンスであると言えなくもないが、今の状態の自分が、しかも学部よりも忙しい院に行ってアルバイトと勉強を両立できるのかとなると、はなはだ疑問である。(これも単なるいいわけか?)
結局のところ、親にとって自分というのは老後のための単なる投資にすぎないらしい。投資に見合うだけの利益が帰ってこないのなら、一円だって出す気持ちはないということのようだ。そう考えると、自分の腎臓の病気が発覚したときに、母親が本気で自分を殺そうと考えていたということもうなずける。本人は「そんな病気を持って生きていくのは大変だから。」などと言っていたが、本心は老後の資金源として期待していたのが、腎不全にでも陥れば資金源どころか単なる金食い虫になりかねない。そんなぐらいなら、今のうちに殺してしまった方がいいと考えたのだろう。
おそらく自分は、親が期待しているほどの資金源になることはできないだろうと思う。それなら確かに、今のうちに死んでしまった方が、親のためにも自分のためにもいいのかも知れない。親も自分の死を願っている。自分も自分の死を願っている。やっぱり、自分は死ぬべきなんだろうね。生まれて来なきゃ良かったね。
明日からは、実家に戻るので、この日記の更新もあまりできなくなるかも知れません。(誰に向かって言っているんだろう・・・。)
今日は結局、一日中ごろごろしていただけ・・・。自分で自分を律することができない。情けない。結局のところ自分は、誰かに叱ってもらわないと何一つできないような、どうしようもない人間なのだと思う。自分は、こんな自由な国に生まれるよりも、どこかの大地主の奴隷にでも生まれた方が、まだよほど役に立ったのではないかと思う。結局、自分には自由なんて使いこなせないのだろう。自分は身分不相応なところに、間違って生まれてきてしまったように思う。今からでも、誰かの奴隷になれるのなら、なりたいような気もする。
「ありのままの自分を受け入れて・・・」なんていうのがあるけれど、絶対にあんなのは嘘だと思う。今の、ありのままの自分で良いわけがないと思う。「あなたは今のままでいいんです。」なんてのは、他人事だから言えることで、実際の世の中では、やっぱりそれではダメだろうと思う。ダメ人間は、結局のところどこまで行ってもダメなような気がする。
はやく死にたい・・・。
今日はいろいろと忙しかった。まず、昼から病院に行って来た。腎臓の調子はあまり良くないらしい・・・。眠れるお薬の件は、「あの薬、あんまり効いてないですぅ。」って言ったら、「そうですか、それじゃあ、もうやめときますか。」だって。(; ;)本当は、何か別のお薬が欲しかったのだが、腎臓の成績も良くなかったし、それに風邪薬も少しもらっておきたかったので、結局そのままに・・・。まぁ、別にいいんですけどね。どうせ、あのお薬、効いてなかったし。まともな睡眠薬なんて、もらえるって期待してないし。でも、これから先、僕は一体どうやって眠ればいいのだろう・・・。
それから、大学の研究室の方の4回生の卒論発表会を見学して、その後追いコンに。卒論発表って、大変ですねぇ。他人事じゃあないけど。来年は自分の番だもんね。追いコンでは、おそらく一番目立たない存在として、こっそりとお酒を飲んでいました。こういう、人がわいわい騒いでいるところって、自分の惨めさが一層際だって、つらいですね・・・。
当然ながら、お勉強はちっとも進まず。何の収穫もない日が、ただ流れて行くだけ。むなしい。情けない。つくづく自分は生きている値打ちのない人間だと思う。
今日もダメダメ。お勉強もちっとも進まない。夕方頃、帰省のための切符を買いに行ってきた。結局15日に帰省することに決定。母親はたぶんイヤな顔をするだろうが仕方がない。日程的にも忙しいし、それに明日(12日)、医者に行ったときに、もう少しましな眠れるお薬をもらいたいと考えているから、もしもらえるのなら、それの効果を試しておきたいと思ったからだ。どうなる事やら・・・。
もう、あんまり生きていたくない・・・。楽に死ねるのなら、殺してもらいたい気分だ・・・。って、自分の命ぐらい、自分で処分しろってね。死のうと思えば、いつでも死ねるのにね。カッターナイフもあるし、ロープもあるし・・・。というか、交通事故で一万人も死ぬ世の中なのに、どうしてなかなか自分の順番が回ってこないんだろうね。あ、そうか。おうちに閉じこもってばかりでお外にでないから、交通事故なんか遭いようがないのか・・・。明日は、交通事故にでも遭いに、お外にでるかな。
眠れない・・・。明日は、本当にいろいろと出かけなくてはならない用事があるのに・・・。こうやって焦るから、よけいに眠れなくなるんだよね。分かってはいるんだけれども、どうにもならない。おまけに、じんましんも出ているし・・・。つらい・・・。