| 年 | 月 | インドネシア |
個人史 |
| 1997 | 12 | ルピアが大暴落。 1ドル2000ルピアだったのが18,000ルピアに。 |
18日着任。 車を購入しようとしたら、金額が決まらない。 納車時のレートで、と言われました。 結局在庫を探して購入。 |
| 1998 | 1 | 断食明け大祭(Idul Fitri)にロンボク島へ。 | |
| 3 | 16日-18日 パランカラヤ(中央カリマンタン)。 ホテルでマンディ初体験。 |
||
| 5 | ガソリン価格値上げやスハルト政権のKKN (汚職・談合・縁故主義)に不満爆発。 12日トリサクティ大学で集会中に学生4名が射殺。 14日コタ地区はじめジャカルタ中で商店略奪、放火、レイプ。 20日の大集会を前に、外国人が避難開始。空港は大パニック。 集会は中止。21日スハルト大統領退陣。ハビビ政権誕生。 |
14日は某所で会議を傍聴していると、 何だかみんなざわざわし出し、暴動が起こってることを知りました。 職場からも火の手が見え、街のあちこちから煙が上がっています。 24時間体制に移行し、泊まり勤務でした。 19日までにほとんどの関係者を見送り、 20日の夜行便で一時避難帰国。 日本に着いてからスハルト退陣を知る。 一週間でインドネシアに戻る。 |
|
| 7 | 健康管理のため、パース経由で日本へ。 ちょっとした手術を受ける。二週間の闘病生活。 |
||
| 11 | 国民協議会。 ハビビ退陣を求めるデモが連日繰り広げられました。 |
国会会場近くの某ホテルで夕食をとっていると、 周囲はデモ隊であふれかえり、外に出られなくなってしまいました。 仕方なく、一泊そのホテルに。 たまにはホテルもいいもんだなどと思いながら。 |
|
| 1999 | 1 | マルク州アンボン島で暴動勃発。 イスラム教徒とキリスト教徒の報復合戦が始まる。 |
年末からアンボンに旅行。 キリスト教会が多く、きれいな街だと思っていたのですが、 私が暴動のタネを蒔いてきたなんて言う人もいます。 |
| 6 | 国会議員選挙です。 今まで3党しかなかったのが、一挙に48党も。 |
Tシャツや帽子の選挙グッズがなかなか。 お土産に最適なのに、日本からのお客さんはほとんどなし。 |
|
| 8 | 東ティモールの「自治権付与」住民投票。 9/4否決(事実上の独立) 9/7軍事非常事態宣言。 9/20INTERFET展開。 |
||
| 10 | 国民協議会での大統領選挙。 メガワティかと思われたが、アブドゥルラフマン・ワヒッドに。 |
ワヒッド大統領誕生はチェンライのBarのCNNで知りました。 一時帰国をする途中でした。 日本からさらに念願のペルー、ボリビアへ。 |
|
| 2000 | 5 | 経済改革プログラム進捗せず、ルピア下落。 13日コタ地区ではVCDの海賊版取り締まりに怒った露店商らが放火。 |
VCD海賊版の露店がたくさんあります。 こんなことで暴動を起こされるのでは、 この国を治めるのは大変ですね。 11日ホームページオープン! |
| 6 | 4日、Benkulu大地震、M7.9。 | ジャカルタも揺れました。 高層マンションでは住民が着の身着のまま階下へ避難。 |
|
| 9 | 6日、西ティモール州Atambuaで、 UNHCRスタッフ3名が併合派民兵に殺される。 翌日国連ミレニアムサミット出席中の大統領に 各国から非難が浴びせられる。 militiaの武装解除を約束。 27日スハルト前大統領の不正蓄財の無罪判決。 三男トミーの有罪判決と、ワヒッド対スハルトの対立激化。 |
前日に殺害された民兵幹部Olivioの復讐か。 99年10月選挙以来の緊迫した状況です。 |