ミカドの墓
緑丘小学校の北門から正面山を臨む。

この緑のフェンスの上にある山道を行くと、

山の斜面に墓地が現れる。

まわりは緑に囲まれて、四方八方、どこからも生活の音が聞こえてこない。

一番奥に鎌倉時代の層塔が鎮座している。
岡山県では、王子権現・宝塔、熊野地蔵とならぶ貴重な墓石。

建治3年《1277年》の当時の権力者の墓。
地元ではミカドの墓と呼ばれている。
さて、ここはほとんどが片山家の墓です。
それについてはこういう言い伝えがあります。

まんなか右の家のある所がまだ海だった頃。
3人の若者が天からおりて、自分たちの新天地を探していました。
ここ稗田の滑にやってきたところ、水はうまいし、稗はたわわ、
鳥はさえずり、けものもにぎやか、海には貝や魚が。
3人はこの地をたいそう気に入って、
さっそく天に帰って家族を呼んで暮らすことにしました。
一人目は、写真の右側に決めました。
森の本だったので森本というようになりました。
二人目が今の家のあるすぐ上のあたり。
昔の港は津といいました。
それが見える丘のことをみ崎といいましたから
津崎というようになりました。
最後に山の片方の北側に住居を構えたのが、片山一族。
ところが、あまり日当たりが良くなかったのか、
山を越えて南へ南へ移り住んでいきました。
児島では、
ほかに赤崎地区の洲脇、松本、
宇頭間地区の森姓にそれぞれ言い伝えがあるようです。