地域漁民に対する補償と条件

 

事業計画の中心をなす海面漁場埋め立てという

当時としてはあまりにも膨大なる計画に、

周辺漁民の中には実現不可能を唱える漁民が多かった。

発表数日後、県対漁民の交渉が始まる。

対象は、埋め立て事業に関連する地元漁業組合に

呼松、本荘、福田、連島、乙島の五組合と

浅口、児島の両漁連。

海面埋め立てによる漁場喪失は漁民の生活を直撃するため、

漁民挙げての反対となる。

県側はこれら反対勢力まとめての交渉は無理と見て、

各組合との個別交渉に出た。

半農半漁で埋め立て予定地周辺に農地を所有する者の多い

福田、連島、乙島の三組合は、

わずか数回の交渉で妥結を見た。

後日農地買収の含みを残しての事と推察する。

また、浅口、児島の両漁連は、

この大事業の持つ意味を理解してかどうか、

我ら小数漁民が反対、反対と叫んでみても

相手が大きすぎると悟り早くも交渉に同意した。

残る専業漁師を抱える本荘と呼松の二組合に対し、

県側は次なる提案を出してきた。

まず、島民の生活救済に重点を置く高島漁民三十三世帯に対し、

離島故の生活上の不便を解消するため、

会場二キロメートルを埋め立て、陸続きとし、

それらにより得られる四百町歩の埋め立て地に企業を誘致し、

漁民全員の入社を約束した。

さらに、漁業権放棄と組合解散に値する永久に残る施設の建設として、

高島南端に高島新港の建設などに一億円の予算を投じるとの提案であった。

本土との地続きは島民にとって長年の夢であり、

新港の建設は組合の原型を後世に遺すという意味で重要と判断し、

満場一致で妥結したと当時の組合理事松井豊氏より聞く。

次に残る漁場専業の正組合員四十七名を抱える呼松に対し、

県側の提案は次の通りであった。

地区内の旭化成内に下請け企業を設立し、

経営を組合がして漁民の就職の受け皿とする。

また誘致企業の食堂や寮などへの魚介類の販売を目的とした会社を設立する。

漁業継続者には本人一代限りの漁業許可書を与え、

その他の者は誘致企業各社に県当局が責任を持って就職斡旋をする。

ただし、本荘と同様に漁業権の放棄と組合解散が条件であった。

度重なる話し合いの結果、県をあげての大事業ということもあり、

妥結に至る。

時代の流れには逆行できず、昭和二十八年漁場埋め立てに同意した。

こうして三百年続いた先祖が遺した水島漁場は姿を消すことになった。

事業は急速に進む。

三菱化成に始まり、各社前後して建設。

昭和三十七年より操業を始め、

高度成長の波に乗り、今日の発展を見る。