水島重油流出

水島港では,引潮時,岸壁に重油の跡が残っていた。


それは,1974年12月18日に起こった。
三菱石油水島製油所のタンク(高さ24m,直径52m)に亀裂が走り,
真っ黒な重油が勢いよく流れ出した。
海に流れ込むと大変なことになると,集まった消防隊員が必死で土のう積みをする。
しかし,その量は半端でなく,ドラム缶215000本分,42888kl。
すべてを防ぐことは不可能で,
17000klもの重油が水島から瀬戸内海に流れ出した。
万一にそなえて設置されていたオイルフェンスは,
実際には役に立たず,
重油は,冬の強風と引潮でオイルフェンスを軽々と越え,
香川県坂出市,高松市,そして鳴門海峡まで広がった。
瀬戸内海一帯の漁師が総出で回収作業を行ったが,
人手で船の上から吸着マットで吸い取ったり,
ひしゃくで油をすくうのは大変な手間がかかり,
最終的に作業が終了したのは次の年の10月であった。
その間,のりやはまちの養殖は壊滅状態になり,
漁業補償費は536億円にふくれあがった。

この事故の後,1975年法律が制定され,
以後タンクの周りに油が流れ出すのを防ぐ堤を設けることが義務付けられた。


水島工業地帯ができて,
眠れない夜を過ごした、度重なる爆発事故,
私の祖父も入れて何百人もの命を奪った大気汚染,
そして,史上最悪の重油流出事故。

数々の大きな犠牲を払って,
水島の防災体制は整備され,進んでいると言われているが・・・・・・・・。


昔の埋立て前の豊かな漁場を知る者は,
どういう思いで工場の事故を見ていたのだろうか。

その中の一人,松下のおじいちゃんが2004年春,亡くなられた。