児島三白
児島を代表する三つの清浄な白い品とは、
「塩・綿・いかなご」。
その理由は・・・・・。
児島・味野
遠く縄文の時代から、人間にとって塩は必要不可欠の物であった。
児島では野崎武左衛門〔1789-1864〕によって、
大規模な新浜開発がなされ、
赤崎や味野に広大な塩田が出現した。
そして、塩業が児島の地場産業として栄えた。
※ 武左衛門はその名前を一文字ずつ取って「野崎」と改名し、
福田新田の干拓も引継ぎ大地主となった。
現在は、塩製造は入浜式からイオン交換膜法に変わったが、
ナイカイ塩業として引き継がれている。
また、高梁川の運ぶ土砂によって干拓に適した土地があった。
次々と干拓された土地は塩分が残っており、
稲作には適さず、綿作に力を注ぐことになった。
出来た綿を糸に変え、その糸を撚って織って紐や布を作った。
その後、足袋、学生服・ジーンズを経て、
「ファッションタウン児島」となるのだが、
そのブレイクのきっかけとなったのは、
瑜迦大権現でみやげ物として
小倉帯、真田紐、袴地などが売られたことだった。
瑜迦大権現は四国の金毘羅大権現とセットで
「必ず両参りを。片参りでは
金毘羅の航海の安全も
瑜迦の商売繁盛もおかげをもらえない。」
といわれていたので〔宣伝したので〕、
とても繁盛し、みやげ物も飛ぶように売れたのである。
綿花
また、児島は瀬戸内海に面し、古き時代より漁業が盛ん。
特に下津井では名物の「たこ」以外にも
たくさんの魚が水揚げされた。
そのなかでも名品はいかなごの釜揚げとされた。