残された遺跡1

 

呼松にあった第三福田小学校が

老朽化と児童増のため、

呼松と広江のちょうど中央に移転新築されることになった。

1966年のことである。

その整地作業と校舎の基礎工事が終わった段階で

掘り起こされた土器類から遺跡の存在に気がついた。

 

  古墳時代の土器

 

教育委員会は倉敷考古館調査を依頼。

1966年5月28日から6月19日の調査の結果、

運動場をのぞく敷地全体、

特にまだ校舎の建っていない部分に広く遺跡が保存されていることを突き止めた。

そのことは、我々が新校舎に移ってから朝礼で知った。

校長先生の話。

「先週、5年生の人がやじりを見つけてくれました。

 大変貴重なものです。

みなさんも探してみてください。」

我々は先を争ってあちこちを掘り起こしたが、

時折、土器の破片らしきものはあったが、

なかなか三角形のやじりは見つからなかった。

苦労の末見つけたとがったものは、

今の時代の魚の骨だったりした。

 

 

いつしか遺跡の話は人々の間に上がらなくなり、

遺跡保護の手段はとられないまま、

体育館と新しい校舎が遺跡の上に新築された。

 

1978年に再び児童増のため校舎増築の話が出たとき、

今度は遺跡を調査した上で増築部分を検討することになった。

1978年7月20日から9月11日までの調査で、

岡山県初の細形銅子戈などの貴重な発見もあったが、

整地の際にかくはんされた土層が厚く、

詳しい時代が特定できない残念な結果となった。

新しい校舎は管理棟の上ではなく横に平行して建てられることになった。

 

 

 

この調査ではともさんたちも手伝いをしたらしい。

貝殻も出てきて、

それが、ともさんたちが呼松の海で食べていた貝と同じだったことが判明した。

 

  そのうちのひとつ、カキ

 

土器は古墳時代後期のものが大半で、

塩を作るための師楽式で、大きさと形はどれも似通っている。

   

この遺跡は、正式には、

広江・浜遺跡と呼ばれている。

 

小学校体育館上の横穴式石室も同時代のものであるらしい。

 

 

さて、呼松には、古墳は残されていないのか。

あるのである。

上町のとある宅地内。

横穴式石室の跡と思われる遺構があり、

わずかに残された石室の石材が庭石に再利用されているのである。 

 

また、ガングロは貝塚ではないのか。

「その可能性は高いです。」

とは、ライフパーク倉敷・埋蔵文化財センターの

片岡弘至学芸員。

「貝塚には、縄文時代のと12世紀ごろのと2種類あります。

中にシジミがあれば中世の貝塚です。」

 

鎌倉のころのごみ捨て場だと言う松下のおじいちゃんの話は

ガングロからシジミが発見されれば、

真実味をぐっと増す。