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鯛漁(流瀬漁・一本釣り)
海産魚の中で最高級品といえば、鯛である。 結婚式やお祝いの会などめでたい席には欠かせない。 尾頭付きが一番喜ばれるが、 刺身、塩焼き、すいものなど料理の仕方はいろいろある。 マダイ以外にもチダイ、キダイ、ヒレコダイといろいろ種類がある。 つり愛好家に人気があるのは、 子供のころはみんなオスだが、 思春期になると両性になり、 大人になるとオスとメスに分かれるというクロダイ(チヌ)で、 夏に特に美味しい。 流瀬漁 瀬戸内海でも、備讃瀬戸は鯛の名漁場として有名であり、 特に御陵の海一帯を内海漁民は高く評価した。 「御陵の海」とは、 坂出市神谷町五色台白峰山に崇徳天皇御陵があったことに由来し、 その足下の乃部落沖合を示す。 立春より数えて65日、 魚島時期がくると鯛や鰆の流瀬網が始まり、 豊漁を期待して心が弾む。 呼松には流瀬網漁の船が35艘、 そのうち鯛流瀬が9艘あり、 漁場は水島灘や香川大槌島周辺から御陵の海。 網おろしから1週間ぐらいは空網もあり、 雑魚の大河豚、にべ、かに、大かれい等で、 鯛の姿は見えない。 八十八夜が近づくと、 御陵の海で鯛が3〜5匹網にかかり始める。 いよいよ晴本番を迎え、活気づく。 夜は鯛流瀬、昼は一本釣り、 昼夜を問わぬ鯛征伐。 朝夕にぎわう下津井港。 大戦前の状況であった。
一本釣り 春の魚島八十八夜、 春たけなわの下津井漁港は鯛や鰆など旬の魚で待ちは活気にあふれる。 明治、大正、昭和の初期、 備讃瀬戸といえば鯛といわれたものだ。 下津井漁港は漁場が近く、 隣村の本荘から餌虫の入手が容易なこともあり、 鯛の一本釣りが盛んであった。 この中に我が呼松からも、 名人畑中佐十郎翁を含む5人が下津井に駐留して、 下津井の仲間と漁をしていた。 潮が小潮になると気がはやる。 目指すアジロは御陵の海か金出の石。 集まる船は10メートル間隔、 どの船も生活がかかっており、 指先に神経を集中させ40メートル下の鯛を狙う。 佐十郎翁は仲間からも一目置かれた腕前であった。 全盛期には大正年間、 漁場には100隻を超える鯛釣り船が集まり、 1日の漁獲が6〜700匹になることもあった。 下津井の6軒の魚問屋がこれを買い取り、 京阪神に出荷する。 各問屋ごとに、これを運ぶ専属の活魚船の一団があった。 一団は下津井魚で安定した利益を上げていた。 しかし、時代が進み、昭和40年、 冷凍庫の出現により、 時間のかかる海上輸送は次第にすたれていった。 全盛を極めた鯛釣り、 現在では20隻位が観光をかねて継続している。 |