コレラの流行と木野山様

明治40年にコレラが発生しました。
当時は、衛生思想に乏しく、予防観念もなかったために、
呼松中に蔓延し、死者が続出しました。
このとき、王地の青年が木野山神社から木の大符を受けました。
そして、漁を総休みして御分神をお迎えすることにしました。
さて、この御分神が着くと争いがおこりました。
「北が先じゃ。」
「中が一番じゃ。」
「南じゃ。」
町内各地区が先を争います。
話し合いの結果、御輿の進行順の「の」の字に回ることにしました。
まず、上より中道筋を通り、北之町から王地に行き、南町と回ります。
ところが、一刻も早くお迎えしたいのですが、
待っても待っても上の組がなかなか渡してくれません。
ついには、傷害事件までおきたと聞いています。
これを祭ったのが、現在の木野山様です。

また、木野山様の少し下に八幡宮600年記念碑があります。
大正11年春に行われた600年祭を記念して、
川尻の板屋川にあった石を宮に上げ、
石工の大谷八重治さんが文字をほったものです。

記念碑の石のあったところ。
ともさんが子どもの頃の遊び場だった。
水が出ると洗濯場にもなった。