大坂大相撲興行
大正五年。呼松の浜仲間が大坂大相撲を招き、興行をしました。
(当時は東をまわる班と西をまわる大坂班と二つあった。)
大関・大錦、関脇・小染川ら一行ニ百人。
ともさん、このとき八歳。
力士は化物のように大きかったそう。
力士用の手洗いも急きょ海岸沿いに作られました。
二軒あった浴場は満員で、
役力士には首、背、両手、足を洗うものが
それぞれついており、
一般のものはこの力士の後でないとはいれませんでした。
さて、朝稽古は暗いうちから始まりました。
見物人はこれを見ようと早朝から
重箱とひょうたん(酒)などを持って入場。
本番になり、好相撲をとると帽子や煙草入れや座布団を投げます。
これをふんどしかつぎが集めて返します。
引き換えに五銭十銭のご祝儀をだします。
世に言う花相撲であります。
土俵の終わったものから次の興行地へ。
役力士は人力車で福田駅に向かいましたが、
広江のねんねん坂では重くて
前後をはだしのふんどしかつぎが手伝ったそうな。

ねんねん坂
昔、よくこの坂に赤ちゃんを捨てにきたらしい。
この坂の下の老夫婦が拾っては、
「ねんねんころりよ・・・・・。」
とあやしたことからこの名がついた。