王島から呼松へ

人が住み始めたのは王島が先で、

呼松は、海岸一帯に松の木が生い茂り、

白く美しい海岸線でした。

ある日、王島の人たちに八幡様から、

「この島に住んでいたのでは後々のために悪いから、

一日も早く松の浦(呼松)にわたるように・・・・。」

というお知らせがありました。

「どうしたもんかな・・・。」

島の人々が相談していたところ、

今度は明神様の松の上に光が輝いて、

また同じお告げがありました。

島の人たちは恐れおののいてすぐに渡ることにしました。

中でも弥平というものが一番先に渡り、

田畑を開き始めました。

それから、弥平の家を『元屋』と呼ぶようになりました。

oozi.jpg (21185 バイト)(元屋)

弥平はだんだん畑を広げて、

天王ケ崎まで行きましたが、

広江の方からも村人が南に畑を開いてきて、

とうとう境界線のことから争いになりました。

役人に願い出て検分してもらった結果、

弥平の開いた天王立岩までが呼松分となり、

それから北が広江分と決められました。

sakainoiwa.jpg (18817 バイト)(天王立岩)

 

嘉暦元年(1326年)には王島の丸山にあった八幡宮も

呼松に移し、住民も一戸残らず呼松に移りました。

しかし、祖先のお墓はそのまま残したので、

毎年旧盆の7月15日には、お墓参りをしました。

このお墓参りの行事が「矢走舟」だったのです。