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昔のおやつ 私の小学校の頃の小遣いは1週間に100円であった。 60円か70円で少年キング(私)マガジン(お隣)を買い、 交換して読み、あとの6日間を残りで過ごした。 時々、紙芝居も来た。 王地権現の前の広場に来ると、 えびせんべいや、 5円玉の大きさの穴をあけるとただになるという砂糖菓子を買って、 参加した。 いつも失敗したが、おじさんの語りはうまかった。
お年玉も、相場は一人100円であった。 「まあ、この子は50円じゃったらあんまりうれしそうにせんわ。」 お年玉袋をあけて、少しがっかりした顔をしているとそう言われた。 その3丁目のおじいちゃんの家では、 「骨まで愛して」のレコードがよくかかっていた。
祭りと正月には、こづかいに余裕ができるので、 夜店や本屋で月刊の漫画を買った。 付録がたくさんあって、どれから読もうか悩むほどだった。
時代はさかのぼって、ともさんの子供の頃。 昔は、人家も少なく、貧しい家が多かった。 明治の終わり頃から大正初期の頃は、 小遣銭を1銭か5厘を親にねだったもので、 5厘ももらえない者も多数いた。 今の子供は実に幸福すぎると思う。 お腹がすくと、山野の果実や海の会貝をとって食べていた。 ダメといって4センチぐらいの巻貝のとがった方を割って、煮た。 これを頭の方から吸うと、中身が口の中に飛び散った。 汁にしてもおいしかった。 5厘ももらえない者はよく食べていた。 「000のダメ吸い。」と言って笑ったのを思い出す。 でも、当時は誰もよく食べたものであった。 また、某駄菓子屋が、飴玉を作る時、 麻糸につばをつけて、切り手にもつばをつけて丸めていた。 今考えると、嫌なものを食べていたと思う。
ともさんも食べていたというダメ。 実は縄文時代の福田貝塚からも発掘されている。
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