連島の箆取神社

 

倉敷が阿知郷と呼ばれていたころ、

連島は都羅島と名前がついていた。

江戸時代よりもずっと前の

連島がまだ瀬戸内に浮かぶ孤島だったころ。

 

今から約1300年ほど前、

40代天武天皇のころ、

この島の沖合いで嵐にあった船が遭難しかけたところ、

前面の海上に「箆」の神紋が現れ、

嵐がおさまり助かったところから、

箆取大権現として祀られるようになった。

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現在の本殿は江戸末期、安政5年に再建された。

また、拝殿、絵馬殿の他に、

左右に200mもの回廊、

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そして、70年ほど前に地元青年団によって

植樹された見事な枝ぶりの桜。

 

箆取神社は海上安全の守り神として信仰を集めているが、

信ずれば火難をのがれるという、

お狐さまの伝説も残っている。

江戸時代、連島村の庄屋、三宅武右衛門が

夜中に大きな狐の鳴き声で目を覚ましたところ、

納屋が燃えていた。

母屋に火が移らず被害が軽かったのは、

箆取様のおかげだと参道に石段をつけたそうだ。

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そして、箆取様のお使いはお狐さまで、

参拝の際には、油揚げをそなえるという習わしが始まった。

 

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これは、玉姫・玉取明神と子守り明神。

昔、神功皇后の妹姫が連島に船で流されて来た。

西の浦の漁師が発見し、手厚く看護したがおそかった。

高貴な姫君は御子を身ごもっておられたが、

残念ながら助からなかった。

このふたりを祀ったのが玉姫・玉取明神。

また、あとを追って逝った侍女を祀ったのが子守り明神。

 

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さて、箆取神社の下の道、

車が1台やっと通れる道、

造り酒屋、

古い町並み。

懐かしい感じがする。

このあたりも、呼松と同じように、

山から埋め立て埋め立てで土地を開いていった。