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王地の傘屋
王地の久保屋の入口に中原寅助さんと言う人が 傘と提灯を作っていた。 小柄で面白い人であった。 日本紙を傘の骨に合わせて切る。 これを渋の入ったのりで貼っていた。 以前は番傘が主であり, 注文すると屋号や名前町名を大字で書き 桐油をぬり、干して仕上げた。 「雨雨ふれふれ母さんが」 の蛇の目も作られていた。 寅助さんの死後, 王地の中田秀次さんが作っていたが, 洋傘をさす人が多くなり仕事が少なくなりついにやめた。 女の人が着物に黒塗りの高下駄をはき, 蛇の目の傘をさした姿は粋なものであった。 提灯も,弓張,ぶら提灯,高張大提灯と種類も多く, 祭日には各戸が縁先に大提灯を下げて, 祭りをいっそう盛り上げた。 弓張提灯は消防団とか,青年団などに用いられ, 人力車は横につけた。 また,嫁入りのとき(昔は夜に行われた。) 定紋の入ったぶら提灯を持った仲人が先頭で 行列を作った。 花嫁さんは人力車に乗っていった。 呼松にも人力車を引く人が3-4人いて, 最初の頃の車は細い車の輪であったが, しばらくしてから,空気の入った太い輪の車となった。 黒づくしの服装で, 饅頭笠に江戸前垂れをかけ, 細長いズボンをはき, わらじで小走りに走っていた。 さて、農家の人たちは傘をさして田植えはできない。 今のようにカッパはない。 では、何を着ていたか。 答えは、「みの」である。
実に色々な素材で編んである。 雨水をはじき、中は結構快適だったのかもしれない。
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