王地の傘屋

 

kuboya.jpg (26175 バイト)黄色の看板が久保屋

 

王地の久保屋の入口に中原寅助さんと言う人が

傘と提灯を作っていた。

小柄で面白い人であった。

日本紙を傘の骨に合わせて切る。

これを渋の入ったのりで貼っていた。

以前は番傘が主であり,

注文すると屋号や名前町名を大字で書き

桐油をぬり、干して仕上げた。

「雨雨ふれふれ母さんが」

の蛇の目も作られていた。

寅助さんの死後,

王地の中田秀次さんが作っていたが,

洋傘をさす人が多くなり仕事が少なくなりついにやめた。

女の人が着物に黒塗りの高下駄をはき,

蛇の目の傘をさした姿は粋なものであった。

提灯も,弓張,ぶら提灯,高張大提灯と種類も多く,

祭日には各戸が縁先に大提灯を下げて,

祭りをいっそう盛り上げた。

弓張提灯は消防団とか,青年団などに用いられ,

人力車は横につけた。

また,嫁入りのとき(昔は夜に行われた。)

定紋の入ったぶら提灯を持った仲人が先頭で

行列を作った。

花嫁さんは人力車に乗っていった。

 

呼松にも人力車を引く人が3-4人いて,

最初の頃の車は細い車の輪であったが,

しばらくしてから,空気の入った太い輪の車となった。

黒づくしの服装で,

饅頭笠に江戸前垂れをかけ,

細長いズボンをはき,

わらじで小走りに走っていた。


 

さて、農家の人たちは傘をさして田植えはできない。

今のようにカッパはない。

では、何を着ていたか。

答えは、「みの」である。

藁で作ったみの

しゅろで作ったみの

竹の皮で作ったみの

 

実に色々な素材で編んである。

雨水をはじき、中は結構快適だったのかもしれない。