矢走船(やっそうぶね)
「動くな。じっとしとけ。」
小学校2年生、ともさんの家に友達と二人で行ったときのこと。
何のことか分からず、口をあけたままにしていると、
ともさんは、火ばさみをこっちにむけてきた。
「あぶねかった。こいつが木の枝におった。」
と、ともさんはつかまえたものを僕らに見せてにっと笑った。
ずいぶんと大きなへびだった。
川にかえすというので二人はついて行った。
ともさんが土手から投げると、
そいつは腰(?)をくねくねしながら泳いでいった。
墨つぼから出した糸でまっすぐにしるされる線。
かんなでみるみる平らになっていく板。
リズムよく口から出て板へ打ち付けられるくぎ。
ともさんの大工仕事が、また、かっこいい。
僕らの中で、ともさんはスーパーマンだった。

さて、そのともさんの矢走船デビュー。
大正10年。旧盆の15日。
南・北・上の漁師によって行われた。
町内の新造船を選び、漁具をあげ船洗いして四丁櫓に仕立てる。
「日の丸大漁旗をつけた竹に、誰が考えたか、
女の人、特に若い嫁さん娘さんの腰紐を集めてむすぶんじゃ。」
この説明になると、いつもともさんはうれしそうになった。
船は太鼓を積み、若者や中老がのりこみ、櫓をおしながら、
「ヤッソウ、ヤッソウ。」
と、船をおおゆれさせる。
一丁の櫓に4人がつく。
王島にむかう。(呼松の先祖といわれている。)
丸山下から、太鼓を打ちならして上陸。
まずは、荒神社に参拝。
その横の五輪塔にも参る。
その上の五輪塔にも参るが、
丸い墓石を投げ、また、元通りにして、
線香を立て米を供える。
つまり、矢走船は「三地区別先祖墓参り一番乗り競争」だったのだ。

行きも帰りも、呼松港は応援と見学の人でいっぱいだったらしい。
残念なことに、漁船は人力からエンジンにかわってしまい、
この年で、約六百年続いたといわれる行事はとだえた。
ともさん、最初で最後の矢走船になってしまった。
ともさん、13才の夏。

今の荒神社。
「ふんどしでやってきて、やっそう、やっそうゆうて、
にぎやかじゃったよ。」
とは、すぐ前の畑をたがやしていたおじいちゃん。