頼仁親王のお墓
頼仁親王は最初、王島山で生活していた。(らしい。)
生姫島では子供が出来、
対岸の呼松の王地の権現様に呼ばれ、
今の木見で生涯を閉じた。(らしい。)

頼仁親王の墓は、郷内小学校のすぐ近くにあり、
大正8年、当時の宮内庁が正式に認定し、
今も宮内庁の管轄となっている。

熊野神社横の五流尊龍院には、その他に、兄の墓や、

その兄が建てたといわれる
後鳥羽上皇が隠岐で死去した一周忌に作られた
供養塔の宝塔がある。

頼仁親王がここでどんな暮らしぶりをしていたかは、
資料がないのでわからない。
しかし、一時は鎌倉の四代将軍に推された人。
父の後鳥羽上皇も含め、歴史の歯車を少しずらせばどうなっていたか。