明治砲(ドン)

 

高校のとき、午後から授業がなくて帰る日を、

「半ドン」と言っていた。

正午の合図を、大砲で行っていたことから始まった言葉である.

官公庁では、普通に使われていた。

 

明治42年、岡山市伊島(今の総合運動公園)に、

第17師団の練兵場と兵舎・司令部が完備された。

午砲台も半田山に設けられ、岡山全市に正午を知らせるため、

盛大な砲声をとどろかせることになった。

砲は日露戦争の戦利品で、長さ1m80cm、砲口8cmあり、

いつからか、明治砲と呼ばれるようになった。

 

ともさんが、小学4年の時、学校の旅行で、

岡山城に行った際に、先生に大砲の実物を教えてもらった。

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‐‐‐昭和4年3月17日の山陽新聞---

 

大正11年に師団は解散したが、

岡山市が費用を負担して午砲を続けた。

昭和4年、岡山市街が車、電車の騒音が激しくなったことや、

財政窮迫もあり、3月で廃止され、

21年間の役目を終えた。

 

ここ呼松にも、その砲声は響き、

「ドンが鳴ったから昼だなあ。」

と言って畑から帰ったり、仕事中の人も昼食にしたりした。

 

大正初年頃は、呼松に時計のある家は少なく、

隣の時計を見たり聞いたりする人も多かった。

セコンド(鎖のついた時計)を持っている人はさらに少なく、

漁師は星の位置を見て時を知り、

月を見ては潮の干満を知った。

また、三ツ星、北斗七星の動きを見て夜明けを知った。

 

大正末期には、安楽院にぼん鐘ができ、

朝夕、この鐘が鳴らされていたが、

戦時中、供出してから中止された。

 

6月10日は時の記念日。

この日ばかりは、

寺の鐘を復活させてもいいのでは・・・。