|
|
|
|
岡山大空襲 昭和20年、6月29日,未明。 B29約70機が岡山市上空に現れる。 焼夷弾爆撃開始。 寝込みを襲われ、死者1725人、 焼け出された人104600余人。 家屋焼失25196戸。 焼夷弾の直接の死傷者も多かったが、 防空壕や地下室での窒息死も多かった。 当日の様子は、ともさんに・・・。
ふと、プロペラの音に目が覚める。 縁に出て見る。 雲の切れ間に機影が見えた。 B29らしい。 北東の空を見ると赤い。 これは、岡山が空襲されている。 団服を着て飛び出した。 誰も起きていない。 空襲と大声で叫びながら大波止の漁業組合に走る。 当直を起こし、本部に連絡するも空襲の発令はないと言う。 岡山は空襲されているではないか。 呼松は単独で空襲警報を発令すると言って電話を切った。 B29は、上空を通りながら岡山方面に向かっている。 焼夷弾が落ちるたびに空が赤くなる。 岡山は全滅しているであろう。 呼松が発令してから数分後、本部も発令,各支部も発令を始めた。
朝になり、福田職業訓練所に出勤すると、 校長はじめ数名が心配顔で集まっている。 校長の話では、岡山には実習生二十余名が出張している。 安否が心配であると言う。 協議の結果、指導員が自転車で確認することになった。 とうもろこしと麦の入った握り飯をもろぶたに入れて出発した。 庭瀬まで行くと東に行くことは出来ないという。 事情を話しても応じない。 身分証明書を出せという。 幸い、呼松の渡辺指導員が持っており、ようやく通ることができた。 避難者がニ号線を歩いてくる。 子供を連れた女の人。 服のない人。 中には仏壇を背にした者もいる。 新屋敷付近に行くと、直径1メートルくらいの穴がある。 焼夷弾の爆発した穴だ。 朝九時頃、宇野線ガード近くに行った時、いた。 指導員二名と生徒が集まってくる。 早速、握り飯を配る。 一人の老婆が一つくれと言う。 だが、他人にやる余裕がない。 可哀相だが断る。 三名いないと言う。 捜さなければならない。 宇野線ガードより焼けた家ばかり目を東に見渡す。 右に大学病院、左に天満屋他ニ・三のビル。 岡山城が見えない。 焼けたのか。 大供の十字路を左に岡山駅に向かう。 赤レンガの鐘紡、専売局の外側だけが残っている。 現林原駐車場前の小川のほとりに、 辺り一面火の海の中で、地蔵堂が一つだけ残っている。 なぜ、ここだけ焼けずに残っているのか。 駅前の倉庫はまだ焼けている。 突然爆発があり、豆らしい物が飛び散る。 駅南の車庫には死者が並べてあった。 七・八十名か、いやもっと多いかもしれなかった。 出ている所は赤くなっている者。 黒くなり、男女の別も分からない者もある。 これらを見て回るがいない。
三十メートルおき位に着剣した兵隊が立っている。 電車通りを城下に向かう。 電線にトタン板が新聞紙のようにかかっており、 炎のあおりでガラガラと鳴りいつ落ちてくるか分からない。 あちらこちらに死体がある。 城下付近に女の死体がニ体、赤くなって転がっている。 看護婦だと言っていた。 電車通りを大雲寺町へと向かう。 天満屋の地下には多数の死者がいるらしいと話していた。 もちろん表町の通りには入れない。 大雲寺町より右折れし瓦町通りを大供に進む。 両側の防空壕や道路にも死体がたくさんある。 でも、捜す子供は見当たらない。 大供十字路で二手に分かれ、 大元、妹尾、興除を経て郷内の大上、藤原の両君を捜すことになった。 大元駅前に出た時、爆発音があり、救助隊がタンカを持って走る。 不発弾が爆発したらしい。 一名タンカで運ばれていく。 興除付近には、あちらこちらに薄いアルミの銀紙らしいものが落ちている。 これは、ラジオの電波障害に使用されたらしい。 ために、放送がなかったのであった。 郷内に帰り、藤原君の家に行くと帰っていた。 大上君も一緒に帰ったという。 一同無事を喜ぶ。 これは、二人とも帰る道をよく知っていたのと、 途中、トラックに乗せてもらったからであった。 だが、とうとう一名帰らなかった。 空襲の犠牲者となってしまった。 可哀相なことをした。 |