つなしの大漁

 

kawatetu.jpg (28134 バイト)

一番手前が三菱化学。

タンカーの右側が三菱石油。

その向こうが川崎製鉄所。

これらの工場ができるたびに、

三福小学校の児童数も増えていった。

教室には九州の方言が飛び交うようになった。

 


つなし漁

 

11月が来ると,海水温が低下し,ままかり漁はつなし漁へと替わる。

広い藻場をつなしの大群を追って,2隻の船で61組となり,

むれを遠巻きに追い込み,若い漁師が一気に網を上げる。

ままかり漁と違い,つなし漁は大漁が度々ある。

当時1匹が約3銭であり,大漁の時は4050円の収入があった。

昭和3年,私が若い頃,漁場は現在の川鉄の溶鉱炉のある辺り,

潮は小潮で時は朝まじめ,辺りはまだ暗いが,

アジロに着くと海面にはねるつなしの大群。

早々に網入れの準備にかかり,2隻の船で網を入れていく。

網を入れ終わる頃には,もう網を伝ってつなしが海面を飛び交うほどだった。

やがて東の空が明るくなり,網を見て驚いた。

網に刺さったつなしの重さで綱が海底に沈んでいた。

網が上がるかどうかと不安になる。

上がってくる網はつなしで白くなっており,

握るところさえない有様であった。

その数ざっと3万匹。

船上は足の踏み場もなく,船は喫水深く沈み,手が海面に届くほどだった。

やっとの思いで港に帰る。

市場に並ぶつなしの山に漁民も商人も活気にあふれる。

競り値は大漁のため,通常の半値で完売となる。

大漁貧乏とはこのことかと,冗談を交えて父は喜んだ。

零細な漁業で,一網で450円は当時の金では大金であった。

このような大漁は後にも先にも1回だけであった。