呼松港

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(大正9年。まだ船は風と人力で進んでいた。)

 

嘉永5年。西暦1852年。

福田新田干拓が完成。

ここ呼松港は、福田地方の玄関口となった。

肥料、石炭、米麦、酒、塩、わらなど、

年中、浜仲間の仕事のきれたことはなかった。

秋の終わりには、高瀬舟が下ってきて、

竹、割り木、木炭を荷上げした。

春は、近郷より人が連れだって水門に集まってくる。

金毘羅参りの人たちである。

一番の土産は金印の赤い大団扇。

しかし、船中で盛んに行われた賭博で買えない人もいて・・・。

夏は、下津井の祇園様の祭と、

なんと言っても、讃岐広島の厳島祭。

水門近くにまた人が集まってくる。

機帆船や漁船が集められる。

潮を待って夕方上陸。

立ち並ぶ夜店をひやかしてお参りする。

花火の上がる頃島を出て帰路に着く。

 

漁港としてよりも、物流の中継地点としての役割が大きかった。

呼松にくればなんでもあるといわれた。

産婆から、お医者さん、墓石まで全部間に合った。

明治の中ごろ〜大正、昭和20年頃までの、

60〜70年が呼松港の全盛時代だった。

その間、魚行商人のはいていたものは、

わらじから地下足袋になり靴に変わった。

 

さて、鉄道網が発達し、水島港もでき、車が橋を通って四国に行く時代になった。

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7回にわたって埋め立てられた港は、ずいぶんとせまくなり、

今では、レジャーボートがたくさんつながれている。

ここで、源平合戦があり、矢走船の競争があり、にぎやかな出入りがあった。

今は昔。