南畝の神社

江戸時代にのべ192万人、16年かけて完成した福田新開。

北畝、中畝、東塚、松江と比べ、

この南畝が、一番水に苦労したらしい。

三菱の工場が来て、共同水道がつくまでは、

松江に行って井戸水をもらっていた。

1メートルも地面を掘れば、水が出てくるが、

それは潮水であった。

また、風呂水は川水を汲んでいたので、

時にはメダカも混ざっていたようだ。

第一福田小学校の用務員は、

子供の昼食時のおちゃを用意するため

毎日、樋ノ輪の井戸へ水をもらいに行った。

 

また、入植当時は、土地が低いので、

水はけの悪い「ザブ田」が多かった。

そこで、田の一部を深く掘り、その土で

文字通り、地上げをして作物を作った。

深く掘ったところはフナ、ナマズ、ウナギを飼った。

また、家は山の学習で宿泊に使う「丸太小屋」を大きくしたようなつくりで、

東高梁川がはんらんすると、真っ先に流されていったと言う。

 

明治17年の大水害では、もっとも被害が大きかった。

神社の裏のおばあさんは運良く助かり、

天皇家から見舞いのふとんをいただいたという。

「わしも見せてもろうたが、鶴の模様がついとった。」

とは、昼から一杯、ちょっといい気分の唐崎さん。

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この神社、南畝5丁目、用水路をはさんで

中畝神社と隣り合わせにある。

スサノオノミコトを守護神として祀っている。

明治35年に建立された。

本殿横の卍紋の石が珍しい。

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