高潮でできた淵V

 

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まだ、枝淵がこんなに広かった30年以上も前、

田んぼの行きかえりは小船でしている農家も多かった。

 

テレビでは万年筆を持って、

「はっぱ、ふみふみ。」と言うだけの、

訳のわからないCMをしている人がいた。

(大橋巨泉である。)

福田公園の体育館ができたときには、

こけらおとしに金メダリストの体操選手がやって来た。

(森末慎二である。)

 

稲の刈り取られた田んぼは少年達の遊び場になった。

野球に夢中になって、

隅にあるこえつぼに気がつかず片足を突っ込んだ者もいた。

(私のことです。)

 

さて、松江のサンカクブチ・オカブチと、

南畝のこの大切れの堤防の淵は、

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養魚場にもなっていたので、

魚を自由に取ることはできなかった。

漁業権は、毎年入札で決められていた。

一人で参加するもの、

グループで参加するもの、

また、権利だけ手に入れて、他に下請けに出すもの、

いろいろな人がいた。

 

入札金は松江と南畝のほかにも、

北畝、中畝、東塚にも分配されていたようである。

 

漁のやり方は、ウナギカキでウナギを引っ掛けるほかは、

投網でボラやナマズ、セイ、イナなどを捕まえた。

 

淵の外の高梁川河口でも投網がさかんであった。

これは本職の漁師で、

夏から秋にかけて行われた。

獲物はチヌ。

牡蠣をまきえに使い、群れをねらった。

船を操る者と網を打つ者とのペアーで行われたので、

経験とチームワークの差が、

そのまま各船の漁獲高の差となって出た。