千人塚(せんにんづか)

わたしたち呼松子ども会では、毎年いもをうえて育てています。
ちょうど、この広江の千人塚の横を通って行きます。
いったい誰のお墓かなあといつも思っていました。
学校の図書館で、『郷土の歴史・倉敷編』を読んでいると、
ちょうどのっていたのでくわしいことがわかりました。
干拓が完成し、福田新田に移住してきた約3000人。
明治17年(1884)8月25日。深夜。
水島灘の1年で一番高い潮に、台風の強い風と雨が重なった。
呼松西の堤防が3ヶ所きれ、海水がどっと福田に流れ込んだ。
712戸の家が流され、546人が亡くなった。
生き残った人は肉親をもとめてさまよったが、
満潮になるとまた海水が逆流して
再び一面の海となった。
必死の救出作業にもかかわらず、
身元不明の256の遺体。
それを無縁仏として樋の輪の山中に埋葬した。
翌年、その上に合葬の碑がたてられ、
その周りに33体の石の観音像が配置された。

大変な災害だったことが良く分かります。
自然の力って本当にこわいなあと思います。
『夏休みの自由研究』から 第三福田小学校 4年生