カメ割り事件

呼松公民館前の道路をはさんで西側。
一本の古い松となにやら古い祠がある。
手前の石碑には、
中島元吉
塚越与曽吉
石原保之吉
中田栄五郎
中田磯平
の名前が刻まれている。
5人は明治13年9月、未決囚として投獄された。
いきさつは、こうである。
当時の県知事高崎五六の許可を得て、
藤田某氏が呼松沖を埋め立てることを計画した。
(今の宇頭間から水島港入り口あたりまで)
が、呼松には、何の連絡・報告もない。
宇頭間になにやら事務所が作られ、
土カ゛メを作って埋め立て個所に沈めていく。
なにをしとるんじゃ。
ひょっとしたら、
わしら呼松の港や漁場を奪う干拓工事ではないんじゃろうか。
当時の呼松、350戸。
専業漁業200戸、半農半漁130戸。
生活権を奪われることに対して、日増しに町民の団結は強くなっていく。
何回も会合をして、8月24・25日。
漁民代表30人が3隻の漁船で、
2隻は埋め立て基礎に沈めてあったカメを手当たり次第わってまわった。
残り1隻は宇頭間の事務所をぶっこわした。
今で言う、公共事業と地元の願いのすれ違い。
藤田某氏はもちろん、もちろん呼松漁民を相手に訴訟。
その結果、5人が代表で刑務所に入れられた。
呼松町民は自分らの田畑を売って、
裁判の費用を負担した。
結果。
120日の投獄の末、
チョンマゲ切られただけで、
裁判も行われず釈放された。
昔から地方権力者の命令は一方的で、
ごむりこ゛もっともが当たり前であったのに、
呼松住民が団結力と行動力で手にした勝利。
昭和55年、
当時の様子を田中のしんさんが112句にまとめた。
それは「カメ割りくどき節」として、
夏の盆踊りでうたいつがれている。