呼松水門
福田古新田を干拓し、その用水吐けの水門として安政5年に完成した。
奉行は深井忠兵衛であった。
水門外側にある詞句は深井忠兵衛の作詞である。
| 閉之既田開之注海 大矢此用永無水害 |
改修時にコンクリートせんとするとき、
ともさん、たまたま通りかかって残して欲しいと依頼した。
傘石の文字と同様、なくなるところであった。

大正9年に水門の樋板がおれ、海水が淵に流れ込みだした。
内側に樋板を入れて止めようとしたが樋板がたリない。
板と水門の傘石の間にジャッキを入れ下げようとしたが、
傘石が上がり、樋板は下りない。
海より折れた間に畳を入れて止めようとしたが、
これも不能に終わり、潮のひくのを待つより方法が無かった。
底板より3枚目に水圧がかかるらしく、
昭和29年、7月5日夜にも同様の事が起きた。

呼松水門は福田の支配下にあって、
水門番も福田の役員によって定められていた。
今は、上の4代目の水門で機械で開け閉めを行っている。
さて、その水門の上は朝夕工場へ行き来する車でいっぱいである。
その横で、時の流れをじっと見つめているのは、この地蔵様。

おばあさん達から赤い前掛け、赤い帽子をもらって、
なんだかうれしそうな顔をしている。
