満州座

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今は,岸田釣具店の前で,

バス通りをはさんで駐車場となっている広場。

ここは,「満州座」といって,

映画やいろいろな出し物をしていた建物であった。

私も父に肩車をしてもらって見物したことを

かすかに覚えている。

 

もともとは,大正4年に埋め立てられた土地。

やはたの波戸から小島さん,桶屋までの間に

建てられた2棟の工場が始まりだった。

この工場では,5センチ位の黒い帯状の布が織られた。

これを,満州サナダと言った。

これから,ここを満州工場と言うようになった。

輸出品として生産されていたが,

不況となり,閉鎖された。

この空家になった工場を,

ドサ廻りの役者が利用するようになり,

その後,建て替えられ,

舞台だけの小屋が建ち,

満州工場の名をそのまま引継ぎ,

「満州座」と言うようになった。

 

 

福田地区人口・戸数調査表

 

       

1721

戸籍

人口

明治

戸籍

16

 

明治

戸籍

44

人口

 昭和

 戸籍

25

人口

 昭和

 戸籍

46

人口

呼松

87

692

419

 

426

2135

585

2675

680

2540

広江

72

691

185

 

181

905

235

1214

1532

4391

松江

 

 

109

 

158

790

186

1015

385

1239

東塚

 

 

130

 

129

645

141

791

939

2775

南畝

 

 

107

 

137

686

146

790

767

1979

中畝

 

 

188

 

187

940

262

1399

2149

6219

北畝

 

 

98

 

119

594

197

1105

2411

6945

古新田

 

 

284

 

266

1331

295

1509

674

2552

福田

71

483

199

 

182

909

223

1236

501

1874

浦田

107

749

161

 

152

751

217

1019

701

2349

305

2367

1880

 

1937

9686

2487

12753

10739

32863

昭和25年頃は,ここ呼松が福田地区の心臓部として存在していた。

と言っても言いすぎにはならないだろう。

平地面積が少ないにもかかわらず,

圧倒的に人口,戸数が多く,

しかも,それが呼松港付近に密集していた。

また,他地区が農業中心なのに対して,

呼松は水産を始め工業,商業,運輸,公務と

いろいろな職種の人々がいた。

 

この「満州座」も呼松のみならず,

福田の他地区の人たちをも楽しませたのに違いない。