対岸の土手

春になって土筆をとりに行くのも、

夏になってつりのえさをとりに行くのも、

秋になってバッタをとりに行くのも、

冬になってたこをあげに行くのも、

ともさんがシャコとりに行くのも、

夜あかりを照らしてえびをとりに行くのも、

みんな水門の土手を通った。

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その土手を上がってすぐに石仏がある。

明治17年の高潮で決壊した個所。

千人塚の方を向いてたっている観音石仏と、

馬が浮き出る石仏。

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きっと、呼松港の盛衰を背中に感じているに違いない。

 

もう少し南に行くと、久松侍従視察碑がある。

昭和14年、春から関西地方に降雨が無く、

稲は枯れ、井戸水も無くなった。

樋の輪の淵は干上がって大量の魚が死に、

死臭が道を通っていても鼻についた。

8月8日には、37度を越える気温を記録。

天皇陛下より、久松侍従が派遣され、

土手の牛の坂より視察されたのは10月17日のことであった。

特に、福田新田の一番南にあって、

早害の激しい南畝、松江の田を視察された。

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この昭和14年は、

年明け早々、事変の行き詰まりで近衛内閣が総辞職、

1月5日、岡山県出身の平沼氏が総理となった年。

出身地の津山市ではちょうちん行列をして、

おらが国の首相の誕生を祝ったが、戦局打開の糸口はつかめず、

政府・軍部は国民精神総動員委員会を作り、

革、ゴム、絹、銅と、次々と使用を制限した。

男は短髪、女はパーマ禁止、

岡山の中央町、田町のネオンも消えた。