道路元標

かめ割りくどき節や呼松町史の作者の戸内のしんさんこと
田中真一さんの家は、煙草・塩をはじめとする日用品を扱う店だった。
小学生を子にもつ親が、
毎朝横断旗を手に安全に気を配っている交差点の一角にある。

そこに、コンクリートの電柱と鉄の柵にはさまれて、
「児島郡」と字を彫られた道路元標がある。
ここから、
「岡山へ陸七里 船路十三里半」 備前記
[岡山へ道法七里 舟路十三里半
宇野津村へ十四丁 広江村へ十三丁」 文化十年 児島郡手鑑
とあり、この元標が呼松の起点となっていた。
その元標から水門に向かって60cmの高さの塀が15mほど続いている。

ともさんによると、高潮になると一番にここらあたりからつかったらしい。
これは、その水害を防ぐための樋であった。
子どもたちは、この上でよくじゃんけん陣取りをして遊んだ。
今と違って、交通量も少なく、
道路上が子どもたちのかっこうの遊び場だった頃のこと。
四国から船で運ばれてきた農耕用の牛馬が水門からおろされる。
この道路元標の横を通って、
ぽとぽととおみやげを落としながら広江方面に向かう。