火事と諸事件

hansyodai.jpg (21220 バイト)

小学生のみなさん,

呼松公民館と道路をはさんで建っているもの。

これが,なんだか分かりますか。

 

これは,半鐘台といって,

火事のときに町内にすばやく知らせるため,

上の方に登って、半鐘を打ち鳴らすものです。

現存しているところも少なくなりました。

 

地震・雷・火事・親父がおそれられる四天王でしたが、

今は雷がなっても、

蚊帳の中に入っておへそを隠す小学生のみなさんはいませんよね。

(蚊帳というのは、部屋の四隅につるす蚊よけの網です。

 昔の夏は、窓を全開にして、自然の風で寝ていたのですよ。)

そして、親父。

こわいですか?こわくない。

そうですね。今のお父さんは、

ものわかりのよいお友だちのようなものですからね。

(戦前、父親が何があっても一番、二番は長男だった。)

今でもこわいのは、地震と火事。

 


 

さて,過去の呼松で大火事といえば,

1772年(明和9年)1月21日と

1776年(安永5年)12月28日で,

特に,安永5年の火事では,安楽院も全焼しています。

kazitizu.jpg (22968 バイト)

また,近いところでは昭和15年6月,

王地の三宅織物工場の大火で,この際には死者もでました。

 

また,昭和の始めには放火事件も続き,

一時は安心して眠れないため,

警官を駐在させたほどでした。

海の干潮と南町の方に限られていたので,

犯人のめぼしがついたとき,

犯人は検挙直前に死亡してしまいました。

 

この頃,他の諸事件も続きました。

不敬事件もあり,

子どもから老人にいたるまで指紋を取られ,

筆跡鑑定のためいろは文字を書かされ,

厳しい取締りを受けました。

捕まえてみれば,

犯人は呼松に駐在したことのある巡査でした。

 

大正6年には戎町でともさんの祖母の甥が

殺人事件に巻き込まれました。

自宅で解剖され,当時としては大事件でした。