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餌虫は塩生
小学校の時、遠足でここまで歩いてきた。 通仙園の手前の海岸。 ここは、塩生。 児島トライアスロン大会で、 日本一厳しいスカイラインの坂道を、 自転車のペダルを力一杯踏みしめる時に、 左手にみえる海岸沿いの町。 今は、沖合いの島・高島とも陸続きとなり、 山と工場にはさまれた町。 写真右真ん中は、本荘小学校。
大人から子供まで幅広く普及して、 愛好家も多いのがつりである。 このつり人気に一役買っているのがつり餌の普及であろう。 また、漁師が使うはえ縄漁にも餌は欠かせない。 水島灘北部の浅瀬で、 10月から翌3月までが本虫の採取期で、 大潮時には数10名が夜明け前の暗い浜に集まり、 小船に分乗して潮の引いた浅瀬を目指す。 腰の痛さも忘れ、一生懸命くわを振るうこと約3時間。 そして潮が満ちてくるころ、浜へと帰る。 浜では虫問屋が、虫生箱を港に浮かべて帰りを待っている。 元手はくわ1本。 多少の重労働ではあるが、 小遣い銭の獲得にまたとない朝の手仕事であった。 人それぞれ3〜5円、多い者で7〜8円稼ぐ。 当時の職人の日当が1円50銭〜2円の時代であった。 海水温があがると、 本虫は生息困難となり、採取は禁止された。 塩生・本荘の虫問屋・西原耕平氏はおおいに繁盛した。 近隣の漁民はもとより、 遠くは阿波・鳴門からも、 小船で餌虫の買い付けにきたという記録も残るほど、 『餌虫は塩生』とその名は知られていた。 しかし、昭和30年、海面埋め立てにより、廃業した。 |