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上水島の製錬所
川崎製鉄水島工場の沖に上水島と下水島がある。 上水島には、明治36年創業の鈴木精錬所があった。 溶鉱炉の火は24時間消えることがなく、 2本の煙突から真っ黒な煙を出して、 呼松からは、まるで軍艦が走っているように見えた。 西風が吹くと、 呼松まで煙とにおいが吹き寄せられた。 夜になると、 北の捨石鼻からトロッコで捨てる廃鉱が、 火山が爆発したように真っ赤な火花を散らして、 見事な夜景を見せていた。 工場と63戸の社宅は、 中央の山をへだてた両海岸に分かれ、 社宅から工場への往復は、 トンネルを開通させて行っていた。 第一次大戦後の不況で操業を中止、 墓碑を5.6基残して直島に移転された。 一定の型に流し固められた、 モルタルブロックほどの大きさの長四角の廃鉱も、 数多く置き去りにされたが、 いつのまにかみんなが持ち去り、 つけものの重し石にしたり、 屋敷の境石に使われたりした。 上水島には、竜王宮があり、 雨乞いの霊験で有名である。 ひでりが続いた昔、この島で、 般若院の住職が雨乞いの祈祷を行った記録がある。 なぜ、雨乞いに良いのかについては、 「新熊野権現勧請伝」という本にくわしい。
701年、紀州熊野を追われた役の小角の高弟5人と300人の山伏は、 熊野権現のご神体を奉じ西海に向かった。 土佐の高知にいったん上陸したが、 ご神体を祀る適当な場所がないので、 再び船に乗り込み旅を続けた。 そのうち食べ物も残り少なくなり、 飲み水にも困るようになったころ、 瀬戸内海に浮かぶひとつの島にたどり着いた。 一行は島に上がり、水を求めたが、 井戸らしきものはなかった。 そのとき、高弟の一人、義学が、 持っていた杖を海につけ2.3回祈祷を行うと、 潮水は不思議なことに真水にかわり、 一行は渇きから救われた。 これは、熊野のご神体のおかげだと喜び、 この島を水島と名づけた。 また、夜があけると、 東の海岸の岩の上で白髪の老人が、 右手に巻物,左手に長い杓のついた斧を持って、 「おーい。おーい。」 と呼んでいる。 「私はこの山の東の林に住む福岡と言う者です。 熊野のご神体を鎮座なされるのに良いところがあります。」 一行はその進言にしたがって、 郷内の林に熊野権現を開くこととなった。 一方、ご神体を呼んで待ったところから、 ここを呼松と言うようになった。 場所は、今の王地権現である。
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