塩田王・野崎の米蔵

 

倉敷市児島味野の「塩田王」といえば、

17891868年に在世した

野崎武左衛門のことである。

足袋の製造販売から塩田・新田の干拓を行い、

塩田所有面積全国第1位、

耕地地主面積近畿地方第3位の

土地を所有するにいたった。

 

私が子供の頃は、

まだ塩水を乾かす塩田式製塩法の塩田跡が見られたが、

イオン式交換膜製塩法になって、

今は跡形もない。

倉敷市の小学校では、

3年生の社会科で野崎の功績を調べる。

児島味野の野崎邸は中が見学できるようになっている。

 

さて、1848年、

武左衛門が59歳のとき、

福田新田の干拓に乗り出す。

実は、児島郡柳田村の篠井汲五平が、

先に取り組んでいたが資金が続かず手を引いた。

こまった藩は野崎に助けを求めた。

ところが、野崎といえども全額は出資できるほどの資金はない。

そこで、なにを考えたか、

工事を着手する前に馬10頭を吉井川に連れて行き、

千両箱に河原の石を詰め、馬の背の両端に乗せ、

20箱の千両箱を乗せて、

児島に帰った。

この行列を見て、

「岡山に行ってもあれだけの金を集める野崎という男、

あの男ならこの干拓を成功させるだろう。

安心して資金を預けよう。」

と地元の富裕資産家が、

野崎の求めに応じて出資した。

1849年、潮止めが完了。

1852年、543町歩の新田が完成した。

 

野崎は福田新田の所有地をどんどん増やし、

最終的には200町歩をこえたらしい。

 

そこから、あがる年貢米を収納する米蔵がここにあった。

今は事務所の建物しか残っていない。

丸山水門に近い王島山のふもと。

川船で米俵を集めるのも、

水門を越えて、味野へ運ぶのにも便利な場所。

 

主がいなくなると、とたんに建物は朽ち果てる。

ところが、そんな事は知らない庭の水仙。

今が盛りと、葉を思いっきり伸ばしている。