生姫島(うめじま)
呼松から約500メートルほど南西の沖合いにあった岩石ばかりの島。
今は練習場のすぐそば。
むかし、頼仁親王(後鳥羽天皇の第三皇子)妃が臨月の身で
この地を訪れ、急に産気づいて、この島で王女を産んだので、
「生姫島」といわれるようになった。
別の言い伝えでは、宇頭間の本太城の女が家法にそむき、
この島に捨てられ、亡くなり、そのたましいが、
夜ごと悲しみを訴えていたので、
「生姫島」となったともいわれる。

ともさんの子どもの頃は、シャコの宝庫だった。
潮の引くのを待ち、大小のまるい穴を見つける。
大きい穴から足を入れ上下させながらふむ。
すると、小さい穴から水がふきでる。
4・5回ふむとシャコがとび出してくる。
みんな競争で、中には2匹も出るのがある。
潮が満ちかける頃には、かごがいっぱいになる。
泥だらけになった手や足は、
生姫島のふちであらって、土手を歩いて帰る。
夕食がうまかったそうだ。
中学生の頃、ともさんと一緒に自転車でやってきた。
この島の東側の岩にひょうたんのほりものがある。
それが、なぞ@ 中をとっていないので、これでは酒が入らない
なぞA なぜかたむけてあるのか
なぞB 祝儀用のひもがない
誰が何のためにほったのか、どうしてもわからない。
後に、ともさんは、白色五輪の塔の調査とあわせて、
水島源平合戦と深い関係があると考えた。

今は日本合成化学工場の敷地内にあって、
草木におおわれ、
ひょうたんの位置もよくわからない。