漁業組合解散後の漁民



組合経営の新会社設立にあたり、
社長に組合長の中田豊氏、
私を含めた3名が非常勤の取締役として就任し、
他の漁民6名と共にC地区の旭化成の敷地内に
南水興業(株)を旗揚げした。
もう一つの会社は呼松魚市場内に、
組合理事の石原義馬氏を責任者に、
他漁民6名と共に呼松水販として営業を開始した。
一方で、漁業継続を選んだ者15名は、
一応は下津井西漁業組合へ加盟したものの、
出漁するのに何かと不便で、
短期間で8名が脱退し、
とりあえず南水興業(株)へ転業入社することになった。
慣れない陸の仕事ゆえ、
ひとつひとつ覚えるのに一生懸命だった。
若い頃から海の上で仕事をしてきた者にとって、
陸でのサラリーマン生活のありがたさは身にしみた>
妻も危険を伴う漁師より、
毎月はいる給料が嬉しかったようだ。
好景気に喜ぶのもつかの間、
昭和47年の暮れ、
水島コンビナートの原動力とも言うべき石油業界に異変が起きた。
世に言うオイルショックである。
各企業は操業を短縮し、人員をへらす等、
事態は深刻であった。
私の勤める会社(センコーKK)も例外ではなかった。
真っ先に白羽の矢は、我々老社員4名に向けられた。
不況とはいえ、いとも簡単な社員の首切りに、
サラリーマン社会の基盤のもろさを見せつけられた。
かくして、県当局の就職斡旋も4ケ年の短命に終わった。
なお、当時青年社員の4名は定年まで勤めた。